にんじんブログ

にんじんの生活・勉強の記録です。

MENU

やりすぎは禁物!

 Twitterを見ていると、ほぼ毎日「死にたい」と言っている人がいたり、「結婚したい」と言っている人がいたりします。街に出てみるとたくさんの人がいますが、彼らの中に毎日「死にたい」と呟いているひとがいると思うと、なんだか感慨深い(?)ものがあります。

「どんな人間でも完璧ではありません。必ず欠点があるものです」

 なんて、最早意見とも言えないほどごく一般的に正しいと認めてもらえるものだと思うのですが、そうだというのに、人のちょっとしたミスを普遍化したり、いやに責め立てたりしてしまうのは、悲しいものです。自責思考も他責思考も、「自分だけ」「他人だけ」が悪い、と思う点で極端であってやめたほうが良いようです。

 ところが、この「自責・他責はやめよう!」というのも、極端に行くと良くないことのひとつです。たとえば出勤している間に家族が強盗に襲われて亡くなったとしましょう。自分「も」悪かったのでしょうか? そんなことはないでしょう。日本で強盗が発生して家族が殺されるリスクはそれほど高くありません。犯罪率は年々下がってきており、凶悪犯罪の件数自体も減っているからです。その確率でリスク対処しておけといい始めたら、あらゆることに対応しておかなければならないことになり、不可能です。商売をする上で「リスク」という概念は素晴らしい道具であることはもはや衆知のこと。この広告の言う通り、この対策をしておけば、と思うかもしれませんが、このような被害者に、自分を責めるところは特にないでしょう。

 

 さて、共感というのも非常に大事な要素のひとつです。カウンセリングなどに限らず、相手の気持ちを自分のこととして理解するという姿勢は好ましいものです。誰かが悲しそうにしているときに、見ているこっちまで悲しい気分になってきたり……。気持ちに寄り添ってあげるというのは、相手にとってありがたいことでしょう。

 しかし、この共感が長期的に見て非常に悪い結果になることがあります。

 たとえば0.01%の確率で副作用が出てしまう新薬があるとしましょう。一万人のうち一人が苦しい思いをしています。「助けて」とこっちを向いて助けを求めています。小さな手があなたの手の中で震えています。あなたは言うかもしれません―――この新薬は危険! 即刻、投薬を中止せよ! ——しかし、9999人は全快しているのです。「1人の悲しみは放っておくのか?」となるにしても、全員の投薬中止はやりすぎです。もっと研究を重ねて磨き上げたり、副作用が出た場合の対策を整えたほうがいいでしょう。

 

 「集団」か「個」か、という問題もこれに類するものです。集団的に見れば得なのだけれど自分が損する場合など、なんで俺が? と思ってしまうのはやむを得ないことです。公共の福祉と言われても、やっぱり理不尽だと感じるでしょう。

 でも個人の利益ばかり追求するのも考え物です。ゲーム理論などでもよく言われるように、それが結局のところ自分の損になるという意味でもありますが、そうではなく、人のために何かをするというのはやはり大事なことでしょう。

 

 なんにしても「何かを徹底的にやろう。しかし徹底的にやりすぎるのは禁物ね」ということのようです。なんだ難しいなと思いつつ、きっとそれができるのが論語などに言う《徳》というものなのだろうなと感じます。論語など持ち出さなくても、「よくできた人」でもいいですが。