にんじん放送局と名づけてYouTubeチャンネルをやっている。この前、朗読動画が完結し、遂にシリーズ二作が出揃った。完結であるとか、続編であるとか、そういった考えは特にない。書きたいことがあれば書いていくつもりで、たいへんに「趣味」という感じがして性に合っている。昔はミステリー小説が好きで、人が死ぬ話ばかり考えていたが、この頃はあまり好まなくなった。生じる謎よりも、人の死ぬことのほうに力点を置いてしまうためだと思う。
生きていることは死んでいないことではない、という言葉は少なくとも二つの含意がある。まず第一に、我々には生きている状態・死んでいる状態に加えて、生まれていない状態が存するということである。生まれていない状態は生きているのでも死んでいるのでもない。そしてこの観察は、次の問題を生起させる。つまり、生まれていない状態を除けば、生きている状態と死んでいない状態は一致するのか、という問題である。そしてこれが上の文に含まれるもう一つの意味であり、即ち、この問いに否と答えるのである。要約すれば次の言明が含まれることになる。:(1)生まれていない状態があるので生と非死は一致しない。(2)生きていることは死んでいない以上のことである。
どちらも興味深いが、ひとまず観察されるのは にんじん放送局と名づけてYouTubeチャンネルをやっている。この前、朗読動画が完結し、遂にシリーズ二作が出揃った。完結であるとか、続編であるとか、そういった考えは特にない。書きたいことがあれば書いていくつもりで、たいへんに「趣味」という感じがして性に合っている。昔はミステリー小説が好きで、人が死ぬ話ばかり考えていたが、この頃はあまり好まなくなった。生じる謎よりも、人の死ぬことのほうに力点を置いてしまうためだと思う。
生きていることは死んでいないことではない、という言葉は少なくとも二つの含意がある。まず第一に、我々には生きている状態・死んでいる状態に加えて、生まれていない状態が存するということである。生まれていない状態は生きているのでも死んでいるのでもない。そしてこの観察は、次の問題を生起させる。つまり、生まれていない状態を除けば、生きている状態と死んでいない状態は一致するのか、という問題である。そしてこれが上の文に含まれるもう一つの意味であり、即ち、この問いに否と答えるのである。要約すれば次の言明が含まれることになる。:(1)生まれていない状態があるので生と非死は一致しない。(2)生きていることは死んでいない以上のことである。
(1)どちらも興味深いが、ひとまず観察されるのは「直線的な時間観」である。まっすぐに続いていく時間の中で「誕生」という爆発が起きて、「死」によってしぼむ。こういう風に時間を理解している。生と死を理解するうえで時間というものが重要な位置を占めるのは当然と言える。より問題になるのは、あらゆる生物が誕生する以前の時間である。それ以前の言明は〈祖先以前的〉と呼ばれるが(有限性の後で: 偶然性の必然性についての試論)、つまり主体が時間を作り出しているのか、それとも客観的に時間なるものが実在するのかという選択をわれわれに迫って来る。にんじんは今のところ前者に与する者だが、当然のように、祖先以前的言明の取り扱いが問題になる。
(2)生きているとはなんだろうか。この問いは倫理学と関わる。ソクラテスは『クリトン』において「人はいかに生きるべきか」と問うたという。アリストテレスは『ニコマコス倫理学』においてすべての人が目指す幸福・よき生=エウダイモニアがなんであるかを求めた。生きているとはどういうことか? どのように生きればよいのだろうか?