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(メモ)分節化について

 コトバとは、世界を有意味な単位に分節化する機能のことである。この分節化機能を持つものは言語だけでなく、言語に結びつかない分節化もありうるためヒト以外の動物にもコトバは認められる。より一般に生命体にコトバは認められるといってよいだろう。なぜなら生命体は生きるための必要物を見分けなければならないからだ。この見分けはAがAとして現れるもので、生命体一般にはハイデガーのいうところの〈として構造as-structure〉が認められるともいえる。そして言語をもつヒトは、生命体的な分節化の上に、言語的な分節化も織り交ぜている。言語的分節化は第一段階の分節化に「付け加わる」ようなものではなく、第一段階を「取り込む」ようなもので、第一段階・第二段階といいながらも、第二段階が第一段階にも影響を与えるという特殊な関係にあるのである(〈基付け関係〉)。

(三度目!)にんじんと読む「依存的な理性的動物」🥕 - にんじんブログ

 

  われわれは文化のなかに生きている。文化によって切り分けるべきものは異なるだろう。第一次分節化を引き起こすコトバの機能を〈言語アラヤ識〉と呼ぶ。これはハイデガーのいうところの〈として構造〉と同じだと思われるが、言語アラヤ識のほうが文化によって切り分けが異なることが見やすくなっている。意識はなにかについての意識であるから、分節以前の世界を想像することはできない。井筒はこれを〈意識と実在=存在のゼロ・ポイント〉と呼んだ。これは老荘思想における「道」に対応するし、禅における「無」に対応する。無なのであるが、しかし何もないのではなく、実際そこから万物が存在してくる存在の源泉なのである。華厳哲学においては、境界線がなくなってしまった事態を「事事無礙」(=事と事が分けられない)と呼ぶ。そしてこのときの意識を『唯識』では「無垢識」と呼ぶ。これはいわば空化された意識であり、自己を忘るることの境地である。