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にんじんと読む「縄文人に学ぶ(上田篤)」🥕 少しだけ

 日本列島にホモ・サピエンスが居つきはじめた頃は氷河時代末期、気候が激しく寒暖を繰り返す頃であった。氷河時代が終わり完新世に入ると日本列島の温暖化がはじまったが、このとき日本中で一斉に「竪穴住居」が作られた。著者はこれを『温暖化にともなって生じたであろう激しい風雨から火をまもるためだった』としている。曰く、火は神様であり、人は神の家に住んで神を守っていた。だから日本の家は靴を脱ぐのだ。けれどにんじんにはこの説が正しいのかは判断できない。縄文人が靴を脱いでいたという話は聞いたことがない。

 ➡(?)ホモ・サピエンスはもともと遊動生活を送っていた。「建築」にはどのような歴史があるのだろう。なぜ家を建て始めたのだろう。竪穴住居は、たとえばにんじんのような素人を寄せ集めれば作ることができるのだろうか。「炉」の組み方と、「縄」などの建築材料の作り方

 ➡(?)アニミズム、自然崇拝にはどのような歴史があるのだろう。いつから始まり、多くの宗教とどのように関わるのだろう。

 戦中、「日本の歴史は神武天皇即位の2600年前からはじまる」とする向きがあって縄文時代は重視されなかった。また戦後になっても「四大文明伝播史観」(四大文明から世界へ)のために縄文文化はまったく重視されていない。起源のわからないものはみんな海外から来たんだろう、と考える常識がある。

 縄文という言葉を名づけたのは生物学者エドワード・モース大森貝塚で見つけた土器の表面に縄目があったためそう命名した。とはいえその縄目自体は8世紀に発見されており(『常陸国風土記』)、「日本考古学はモースにはじまる」というのは単なる欧米コンプレックスである。明治政府は「維新によって文明開化したため、それ以前には文明などなかった」としたためそれが今でも残っているのだ。縄文人など文字も金属器も持っていないのだから野蛮人扱いである。聖徳太子のいる弥生時代以降が日本史としてまっとうに扱われている。

 

 

※定説も書いてあるが、かなり「持論」が多い。

縄文人に学ぶ (新潮新書)

縄文人に学ぶ (新潮新書)

  • 作者:上田 篤
  • 発売日: 2013/06/15
  • メディア: 単行本