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にんじんと読む「個性と出会い」🥕 途中まで

自己疎外

 ひとは集団のなかで自分の個性を殺して生きることがある。そしてこの生き方は、どうやら高い比率でみられるようになっているようだ。彼らは誰かから「正しい答え」を教えてもらいたがっている。それを越えて、たとえば討議に参加しようなどとは思わない。適切な情報、適切な知識を手に入れることが求めるすべてだ。これによって、身分が決まると信じているのだ。

 そんな考え方を支えるように、テストでは正しい答えを書くことが求められ、点数順に並べられる。彼らにとって、「価値」はそこにあり、そこにしかない。このような教育課程がもたらすものは、外部的基準の全面的受容による自らの自我の追放である。注意は常に、外部基準に沿うことに注がれ、自分自身の感覚による判断は放棄される。そんな人物は打算的になるか、ただ無感覚で受動的な人物になるかどっちかだろう。妥協的人物の多くは「お人よし」であり、求められることにこたえる。こたえた時点では彼は満足するが、いざ外部的刺激を失うやいなや混乱し、『自分が誰であるのか、何を望んでいるのか、自分の本当の感情とは何であるのかについて』何もわからないことに気づく。これを自己疎外という。