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にんじんと読む「ACTハンドブック」🥕 第一章

第一章 機能的文脈主義とは何か

 アクセプタンス&コミットメント・セラピーは「機能文脈主義」という哲学的立場のもとで実践される行動療法である。機能文脈主義は、文脈主義のはじまりであるPepperによれば、世界それ自体についての仮説・世界観のひとつである。

  1.  世界は要素で構成されているか?
  2.  世界は一つのストーリーとして語ることが可能か?

 という二つの問いにとって四つの立場にわかれ、この二つに「NO」と回答するのが””文脈主義=文脈的世界観である。一つ目の問いに「NO」と答えることは、部分的な実在は捨て去られ、全体を基礎的な事実として取り扱うことを意味する。二つ目の問いに「NO」と答えることは、最終的に世界がなにかある特定の状態に達すると考えないことを意味する。文脈主義と真っ向から対立するのは、二つの問いに「YES」と答える機械的世界観=機械主義である。

  •  機械主義者は部分的な実在を認め、その部分間の関係を同定、さらにはその部分を起動させる原動力を同定するなどという過程を通じて世界と関わる。彼らにはまず認識するもの/認識されるものという二分法があるため、これにより、「真理の基準」というものが心の中の信念と外部世界の事実の一致になってしまう。
  •  一方、文脈主義は部分の実在を認めておらず、あるのはただ複雑な全体性だけである。そこには究極的な真理は存在せず、認識するもの/されるものもなく、因果律すらない。認識の可能性が生じるのは、『ある恣意的なゴールが設定される場合にのみ』である。つまりこの世界での真理基準はそのゴールが達成されたかどうかなのである。彼らはゴールのために機械主義者の理論を使うこともあるが、単に道具である。

 文脈主義者がなにかの分析を行うばあい、そこに設定されるゴールによってさらにふたつの立場に分かれる。ひとつは「記述的文脈主義」で、分析の目的は、対象や参加者を検討することによって彼らに対する全体的な評価をすることである。彼らはその評価に首尾一貫性を求めるが、それは別に客観的に正しいとかは意味しないあくまで個人的なものである。

 一方、「機能的文脈主義」者の分析ということを行う目的は、事象に対する予測と影響のためである。分析それ自体を目的とはせず、別に予測と結果が外れても全体的な視点からみてゴールに達していれば別に気にしない。

 

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 任意に選択されたゴールの達成という目的に資すればそれでよいのだが、選択されたゴール自体の正当性は帰納的文脈主義において証明されることはない。ゴールの選択は価値の表明であり、ACTというセラピーにおいてはセラピストという存在が権力性を帯びることがあり注意を要する。

 機能的文脈主義に基づくACTにおいては、『クライエントの価値を顕在化させ、その個人的な価値の選択に基づいてセラピーが行われる』。