「ユーモア」と「笑い」は刺激・反応であり、区別される。ユーモアはくすぐることなのだ。ユーモアの主要な要素は不調和であり、フリとオチが別々のほうを向いていてしかもうまく解消されている。ばかげていることは笑いの種になるが、ばかげていればいいわけではなく、解消が必要である。ジョークのフリを聞きながらこうかなこうかなと立てて行く仮説がそれと調和しないオチによって修正されるとき、ユーモアがある。
ピーターが農地を購入して、トラクターで耕しはじめた。するとすぐに、トラクターが1本の前歯を掘り起こしたのに気づいた。変だなと思ったが、そのまま耕しつづけた。100メートルぐらい進んだところで、歯をもう1本見つけた。「絶対おかしい」。30メートルぐらい進むと、さらに何本も歯が出てきた。恐ろしくなったピーターは、その晩、以前の所有者に手紙を書いた。「以前この土地は墓地として使われていたのですか?」
2日後、以前の所有者から返事が届いた。「そんなことはありません。心配しないでください。そこはフットボール場として使われていたんです」
不調和を検知し、解消すると、愉快な感覚が起こる。そこから先は視床下部や脳幹に広がって筋肉が動くことで笑いになる。これを「不調和仮説」と呼ぶことにする。
- 人によって笑えるユーモアと笑えないユーモアがあるのは、人によって仮説の立て方が異なるから。
- ジョークで優越感が使われるのはジブンとアイツの違いが多くの人に共感されるから。
- ジョークを説明するとサブいのは、それが何の変哲もない普通の話になるから。
疑問もある。
- 何度も聞きたいジョークもある。
- 「不調和」を感じたかどうかなど検証できるのか
※いつものことだが、「進化で読み解く」となるとまあセックスにたどり着く。ユーモアは知性があるかどうかはかるのに便利らしい。