にんじんブログ

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にんじんと読む「自我の源泉 近代的アイデンティティの形成」 ②

 我々の目標は、私たちの持っている道徳的直観を明確化する存在論である。ここで明確化されるのは、正しさに関するどんな主張においても前提とされている背景であり、つまり、それがどうして正しいのかと問われればそこに立ち戻らざるを得ない。明らかにこのような存在論は、同時代人ならばみんなが合意するようなものではないし、どんな存在論も論争にさらされうる。ほとんどの人はそのような存在論を公理のように当たり前に受け入れている。

 人間の生命は尊重に値するものであるし、どんな文化においても、尊重とされる存在者は存在するだろう。近代において特有なことは、この尊重の原理が権利によって定式化され、好まれるようになったことである。西洋の法学的伝統の中で発生した権利というものは、まるでその主体がその法的特権を自分の専有物としてもっているかのように理解したものである。この権利は万人が占有している「自然権」として語られはじめた。とはいえ、このように権利を語りだすことは、それまでと同じものを禁止しているためにそれほど意味があるようには思えないかもしれない。だがここで起きた変化は、禁止の対象ではなく形態であり、主体の地位である。権利を実現するためにあなたは行動できるし、行動しなければならない。なにもしなければ権利は実現されない。自然権はあなたに権利を実現させる役割を与える。つまり「自律性」と結びついたわけだ。この観念は、誰かを尊重するということの意味も変化させる。人格を尊重するというのは、当人の道徳的自律の尊重も含む。人々には自分の個性を自分の望むように発展させる自由が与えられている。