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にんじんと読む「進化と人間行動」 第一章

第一章 人間の本性の探究

 ヒトは生物である。つまり進化の産物である

 だがすべてが遺伝子によって説明されるわけではない。「種子が発芽するためにも環境が必要で、環境があっても種子がなければ発芽しない」ということは、遺伝と環境の対立にほとんど答えを与えている。問題なのは、どちらがどのくらい影響を与えているということなのだ。

 ヘンリー・フォードは言った。「会社がつぶれるのも、労働者が解雇されるのも、飢え死にする人間が出るのも、すべては適者生存の自然の理である。この世が弱肉強食の生存競争の世界であるのは、生物界の真理である。したがって、つぶれる会社を救ってやる必要もないし、適者生存に負けた貧乏人を救済する必要はない」。これは社会進化論と呼ばれるものの影響であり、進化論の大きな誤解され方のひとつである。彼らは進化と進歩を同一視し、進化に価値と方向性を付与し、西欧人>未開人、金持ち>貧乏人などと考え、社会全体の利益のために起こるものだと考えていた。だが進化は価値とはまったく関係なく、方向性などなく、「遺伝」にしか関わりがない。このうさんくさい社会進化論の考え方のせいで、それが下敷きにしているダーウィンの進化論もうさんくさいと考えられてしまった。

 だから「社会生物学」という、人間の現在の行動を進化にもとづいて説明する試みにも大きく尾をひいた。利他行動・性行動等々、こういったものがどうやって形作られてきたか遺伝子レベルの淘汰の理論で説明しようとしたのだが、人間の活動を遺伝子に還元しようとする新たな社会進化論とみなされた。遺伝というものの「決定論」的な、「運命」的な感覚も持たれてしまっている。だから私たちとしては、ことばの持っている意味を、正確に把握する努力をしなければならない。