にんじんブログ

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にんじんと読む「職場の現象学」第一章~第三章

第一章 「たった一人のあなたの実感」から始まる現象学

 電車が揺れて隣の人の足を踏んでしまったとき、私たちは自分でそれが「故意」かどうかわかっている。その理由をあえて言葉にすれば、わざとやるときにはわざとやってやるという思いが先に来るけれども、今回は動きが先にあって後から踏んでしまったと思ったので、わざとではないと私たちは判断しているのだろうと考えられる———現象学とは、””わかっていること””を出発点にして、それを分析していく学問である。

第二章 日本社会での人間関係の特質

 私たちは瞬間ごとにいろいろな思いを持って生きている。はっきり言葉にはしなくても、「ここではあまり発言しないほうがいいな」とか「こんなことしたらつまらないと思われる」とかなどの、「こうしたほうがいい」「ああしちゃだめだ」みたいなことである。もちろん「あそこに犬がいる」みたいなこともあるが、思いをこういう風に絞ったのは、そのアイディアの中に他人が住み着いていることが見やすいからである。

 私たちは自分が一体””何を””感じているのか、いまいち理解してはいない。何があなたにそう思わせているのか、いったい何に突き動かされているのか? 現象学にはそういう「””何””についての問い」がある。もうひとつは第一章で見たような、「どのようにして、の問い」がある。

第三章 人は自分に嘘はつけないこと

 あなたが「そう思っていること」の中には、実は過去も未来も折りたたまれている。たとえば車に乗っていて、急に静かになった気がしたと思ったらクーラーが消えていたとしよう。あなたはそれまでクーラーがついていることさえ意識にのぼっていなかったというのに、実はクーラーの音はずっと聞こえていて、そのまま続いていくだろうことが予期されていたのである。

 私たちは意識するしないとにかかわらず、常に「何かを意味づけ価値づけて」いる。こうした性質を志向性といい、この働きを””作用””、その意味や価値のことを””志向内容””と呼ぶことができるだろう。志向分析は、志向性を作用と志向内容に区別して分析される。私たちはさらに、意識にのぼるものとのぼらないものを区別することができるだろう。前者を能動的志向性、後者を受動的志向性と呼ぶ。考え事をしながら歩いているとき、私たちは能動的に考えを志向しているが、地面などは受動的に志向されている。するとこの世界は、受動的志向性の下層部と、能動的志向性の上層部の二層から成り立っていることもわかる。