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退屈(日記)

2023.06.10記

 昨日こう考えた。心の平静、安心感や安全感というのは穴のようなものだ。誰もがそれを求めるが、一度ハマれば最後、そこが穴であるがゆえに抜け出しがたい。別に抜け出さなくても良さそうなものだが、しかし、そこには心を波立たせるものもなく人は退屈してしまう。幸福の本体に安心・安全が含まれることは間違いないが、実のところ、それは安心と刺激の運動なのだ。安心があってこそ刺激をはっきりと認識し、享受できる。なにが刺激かわからないのは、単に「混乱している」と言う。混乱しないために人はきちりと穴におさまって、たまにちょっと刺激多い世界に顔を出すのがよかろう。

 そしてこんにちはこう思っている。

 安心や安全は嬉しいとか悲しいとかいう時間が経てば薄れてしまう状態ではなく、より継続的な状態のはずだ。つまり、求められているものは感情というより、気分だ。葬式のなかで悲しい気分にいながらも人は嬉しい感情を持つことができるのと同様に、たとえ安心な気分においても喜んだり困惑したり悲しんだり怒ったりすることは可能である。逆に、悲しんでいるからといって安心していないとは限らない。安心安全だからそれゆえに刺激がない、などということはありえない。本当に安心安全というのは何も起こらないことではなく、「何が起こっても別にいい」という状態なのである。そして起こらなくても別にかまわない。しかし人はそんな状態にいつまでもいられない。「穴にハマる」などということができているやつは、きっと悟っている。