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にんじんと読む「日本語が亡びるとき」

三つの概念

 人類の言葉の歴史を考えるために、次の三つの概念を用いる。

  1.  普遍語universal language
  2.  現地語local language
  3.  国語national language :国民国家の国民が自分たちの言葉だと思っている言葉

 ベネディクト・アンダーソン『想像の共同体』の核心は「国家は文化的被造物だ」ということであるが、最初の三章では「国語は文化的被造物だ」という主張に充てられているといってよいだろう。人類の多くは国語を自分たちが太古の昔から使って来た言葉だと思い込んでいるが、実際はいくつかの歴史的条件が重なって生まれたものでしかない。国語は一旦成立するとその成立過程は忘れられ、自分たちの国民性の表れだと思い込まれ、ナショナリズムの母体となり国民文学を作り、国民国家を創っていく。

 この成立に関するアンダーソンの分析は<資本主義の発達>という前提条件があったからこそグーテンベルク印刷機という書物の大量生産が社会を大きく変えたのだと指摘した。はるか昔、どこかの人びとが言葉を話し始めた。そしてどこかで書き言葉が使われるようになった。書き言葉の起源はわからないが、これはそう簡単に生まれるものではない。そしてそれが外へ広がるのもそう簡単なことではない。書かれたものに価値があると思わせられなければ、だれも文字など覚えようとは思わない。アンダーソンによれば、遠い昔の人びとはキリスト教イスラム教・仏教・儒教などの宗教的想像共同体に属していた。そこに属するという意識は、聖典に書かれた言葉……ラテン語アラビア語・古典ギリシャ語・漢語などの使用だった。そうとはいえ、この言語を使う二重言語者は少数に限られていた。そのような聖典が外に広がった時、なぜそこにいる人々はそれを読んだのかといえば、そこに叡智が書かれていると考えたからだ。もちろん学べる人は外の文化においても限られている。上の社会階層にいる者であるし、時には他人の迷惑も顧みず自分が知っている以上のことを知りたいと思う者である。生まれながらにそのような資質をもった人は少ないが、しかし確実にいるそうした人たちによって言葉の連鎖がはじまる。

 だがこの時点では「普遍語」しか書き言葉がない。普遍語は秘儀的なものであるが、””読まれるべき言葉””であることによってより多くの人々に問いかけ、叡智を蓄積する図書館を作る言葉である。そのような特別な普遍語に対して、現地の人びとがふつうに話している「現地語」がある。美的にも知的にも倫理的にも上位のレベルとみなされる普遍語に対して、現地語は下位のレベルにある。そこで重要になるのは〈翻訳〉であり、〈資本主義〉であり〈印刷〉である。大量に印刷された普遍語の聖典はすぐに少数の二重言語者に行きわたり、あらたな市場を求め始める。そこで聖典は現地語に翻訳される。翻訳に使われることになった「出版語」という各地の現地語が国民国家の基礎となったわけだ。

 

日本語の位置

 普遍語を現地語に〈翻訳〉すると書いた。これが資本主義や印刷機と組み合わさって国語になるのだが、そもそもこのように現地語に書き言葉があるのは、まず普遍語を翻訳するというそもそもの営みがあったからこそである。日本においてはまず朝鮮半島から漢文で書かれた巻物の束が伝来し、最初はそのままの語順で読んでいたが次第に語順を自分たちの現地語のように読むようになった。遣唐使が廃止になったとき、平安時代の人は漢文の脇に小さく返り点をつけるようになり、次第に助詞などもつけるようになる。もちろん助詞といってもそれ自体も現地語にはないわけだから、漢字を流用したものを使っていた(「万葉仮名」)。この万葉仮名が次第に省略され、カタカナとひらがなにわかれていき、文字体系を産んだ。カタカナは普遍語用、ひらがなは現地語用という道を進む―――ところがふつうはこのようには進まない。日本語の運のよかったのは、漢文圏からの距離が遠かったことである。それを象徴するのが「科挙制度」に巻き込まれなかったことであり、多くの二重言語者が漢文に専心し現地語が成熟しなかったとしても不思議ではない。日本は科挙制度を導入しようとしたがうまくいかなかった。

 日本には木版による印刷技術と、江戸時代三百年にわたる平和のもとで非西洋のなかでは例外的に資本主義が発達していた。そこに成熟していた現地語が乗り込んだ。そして大切なのが、日本という国が西洋列強の植民地にならずに済んだことである。もちろん植民地化しても既に成熟している現地語は残っただろうが、徐々に幼稚なものになり、今の日本語のもととなる言文一致運動は生まれなかっただろう。