にんじんブログ

にんじんの生活・勉強の記録です。

MENU にんじんコンテンツを一望しよう!「3CS」

(日記)宇宙

2024.03.20記

 生きているとはなにかと調べていたら、生命のあることだというので、それじゃあ生命とはなにかと調べたら「恒常性」「組織化」「代謝」「成長」……と言われた。なんだか「そういうことじゃねえんだよな」という気もするのだが、なにがちがうのかと言われると一考を要する問題だ。それで自分なりに考えてみたら、やっぱり「活動ができる状態」になってしまう。寝ていることも活動だと言い張るつもりでいる。二度と目覚めなければその他の活動ができないので生きているとは言わない。イロイロな活動ができるのが大事だ。ただバクテリアレベルになるとほぼ「口を開く」以外にしないやつもいるだろうから、「まあ生きてる」と「めっちゃ生きてる」ぐらい幅がありそうだ。人間にとって人間はめっちゃ生きてる例であり、そのうちでも死んだように生きてるやつもいる。傍目に見るとぼくがまさに死んだように生きてるやつかもしれない。

 急におかしなことを言うようだが、ぼくには「輪廻転生」というアイディアは割と悪くないと思っている。なぜかというと宇宙はビッグバンによって生まれやがて滅び、再びビッグバンを待ち偶然によっていくらかの定数が決まり独自の宇宙を創り出していく。いわゆる「無」の状態が無限回やってきて無限回試行できるのだから、まったく同じ自分が生まれてもおかしくはない。意識がないと時間が過ぎるのを感じることはないから、死んだら一瞬で目が覚める。まったく同じ人生のやり直しだ(あるいは、一切目覚めない。別の宇宙の自分は自分ではないから……)。要するに永劫回帰だ。釈迦は輪廻から抜け出そうと悟りを目指したが、「悟る」という一宇宙的出来事で輪廻から抜けられるわけがない。意識の条件が””完璧に同じ””でないなら永劫回帰は避けられ、「別ルート」の人生を歩むことができる。ゲームみたいになってきたな。