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「世界への信頼と希望、そして愛」

否定媒介的な世界肯定

世界を否定したくなるような出来事が、この世界には無数に存在する。しかしそうした出来事に直面してもなお、アーレントはこの世界を肯定しようとする。ここにあるのはいわば、「それにもかかわらず」の世界肯定、すなわち直接的な世界肯定ならぬ、否定媒介的な世界肯定である。

世界への信頼と希望、そして愛――アーレント『活動的生』から考える

 世界に対してなぜ信頼と希望を抱くことができるのか

 アーレントいわく、わたしたちは自らの可死性に対処するために、世界が存続するように気遣う。世界は保全されなければ壊れてしまうものであるが、構成員は死んでいくので、次に生まれてくる子どもをも気遣う。この《可死性》と《出生性》に対処する活動を《活動的生》と呼ぶ。

 明らかに問題なのは「世界」の概念である。ここでいう世界とは宇宙を想起させる世界全体いわゆる大文字の世界Wではなく、大学のキャンパスなどの狭い意味での世界であろう。こうした世界は次の三つの世界から成り立つ。①人工物の世界、②間としての世界(共通世界)、③人間事象の世界である。まず物が作られ、そこに人が集い、交わる。そうすると活動的生は三つの活動によって構成されることになる。

  1.  《労働》 みずからの生命維持のための生産。世界のメンテナンス。
  2.  《制作》 人工物を形成する活動。労働と違い、長続きする。
  3.  《行為》 共通世界において人と交わり、政治的な関係を組織する。新たに生まれてくる未知のものとの関係を組織する。

 「物」は持続性の観点から分類され、評価される。世界という視座からすれば、物は持続的であればあるほど優れている。①消費財は刹那的であり、②使用対象物は持続的であり、③芸術作品は永続的である。だから厳密にいえば、消費財は物と呼ばれるには値しない。そうであるがゆえに、世界は持続性と永続性をもつ。人間が消え失せても物は一定期間、そこに存在し続ける。

 もちろん、世界存続のためには会社と同じように「新入社員」が必要である。だがこれはやはり会社と同じように、一つのリスクでもある。新たにされた世界がどうなるかは誰にもわからない。これは脅威でもあるが、希望でもある。アーレントは予測可能性に満ちた社会に《全体主義》を見る。予測できないことで世界は何度も不安定化を被るが、そのたびに安定化してきたという事実がある。それは行為によるものだ。むしろそうした事実を否定して予測可能性に、合理性に向かうことこそ非合理的なのだ。明日になったらなにかが起こるかもしれない」というところに、信頼と希望がある。

 つまり、この世界に信頼を抱くことができるのはそれがこれからも長きにわたって続いていくからであり、希望を持つことができるのは、それは世界がこれからも絶えず新たにされていくと感じるからだ。