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にんじんと読む「パラダイム論を超えて」 パラダイム

パラダイム

ある業績がパラダイムであるとは、次の2特徴を持つことである。

  1.  その業績が、他の競合する科学研究活動を捨てて集まる支持者の持続的グループを形成させるほど十分ユニークなものである。
  2.  その業績が、再構成された研究グループに解決すべきあらゆる種類の問題を提示してくれるほど十分発展性のあるものである。

 科学活動は、通常科学・危機・科学革命という三様態をとりながら進展する。つまり、「パラダイムに基づく発展的研究活動」「パラダイム崩壊にともなう多方向に分散した研究活動」「新パラダイムの構築と整備」という様態である。科学は直線的に発展してきたわけではなく、科学活動において何が適切であるかはパラダイムやこの三様態のどこに位置付けられるかという文脈依存的なものだとクーンは主張した。

 科学者は通常科学の段階ではパラダイムに疑問など抱かない。ひたすらそれに従って問題を解こうとする(ポパーはこの通常科学の説明が気に入らなかった)。そこに説明できない現象が出てきて、しばらくそれもパラダイムのもとで解くべき問題として解釈されるが、あまりにもそうした問題が累積され始めたとき、科学者はとうとうパラダイムに疑いを持ち始める。科学革命における科学者の変化は単に頭の中にとどまらず、その分野における考え方や方法や目標をすっかり変えてしまう。クーンのパラダイム論は、パラダイム間に共通の枠組みが存在しないことを主張する(通約不可能性)。パラダイムの転換は片方の陣営が片方を説得するのではなく、結果的に片方が消え失せることによって起きる。クーンが強調したのは、科学活動の社会文化的な面である。

科学的研究プログラム

 クーンと対立関係にあったのはポパーである。彼は科学の方法論の基盤は反証にあるものと訴え、科学者はいかなる既存の権威にも屈せず批判的に主張を吟味しより反証に耐えうる立場を提案することを求めた。ポパーの弟子であるラカトシュポパーとクーンを統合しようと試みる。どうしてもポパーの「反証主義」は単純な形では維持できないけれども、少し考え直せば彼の精神を引き継げるものと考えた。

 ラカトシュパラダイムに代わって提案したのは「科学的研究プログラム」である。これは基盤理論(固い核)とそれに付随する補助仮説の集合(防御帯)からなる。プログラムの同一性はコアによって定められ、防御帯は時間的に変化する。たとえば予測がはずれてコアが危機にさらされると、科学者はコアではなく防御帯という仮説を手直しすることで整合性を確保する(否定的発見法という。肯定的は、防御帯の調整に関する方法論や戦略。たとえば質点の導入は運動の説明に役立つ)。*1

 ラカトシュは科学活動をより適用範囲の広い理論構築のための修正・拡張という活動であると捉える。科学活動の歴史はある理論から生まれ、変則例をその都度叩き、再編成し、それを繰り返すことなのだ。理論列中のいかなる理論もコアを含む。

 理論列が理論的に前進的であるとは、後続理論が先行理論よりも経験的内容が豊かになっている、つまりそれまでできなかった予測ができるようになっていることである。

 理論列が経験的に前進的であるのは、理論列が理論的に前進的であり、新たに予測された後続理論の経験的内容が裏付けを得ていることである。

 こうしてラカトシュは理論選択のための合理的基準を与えたことになる。

 ラカトシュポパー派の一人として合理性への特別な思い入れがあった。クーンのパラダイムはそれぞれに共通する土台がなく「進歩」とかそういう言葉とは無縁のものであるが、ラカトシュは進歩を問題解決する範囲の拡張として捉えた。また、クーンの場合は、なぜ研究者が研究などしているのかがよくわからない。ラカトシュの問題意識を引き継いだラウダンは、この「問題解決の拡張」というものを精確に特徴づけようとした。

 まず実際の科学活動を見回してみると、「コア」と言われてもそれに当てはまるようなものがないときがある。だがそれでも「研究伝統」はある。

<研究伝統>

  1.  研究伝統は、研究領域内の存在物や過程についての一般的前提と、問題を探求しその領域の理論を構築するための適切な方法についての一般的前提とから成る集合である。
  2.  あらゆる研究伝統は、それを例証したり部分的に構成したりする固有の理論を多くもっており、それらの理論の一部は同じ時期にともに存在し、他のものは先行する理論とともに継承されていったものである。
  3.  どんな研究伝統でも、その研究伝統を全体として特徴づけ、他の研究伝統から区別する、何らかの形而上学的・方法論的な内容への関わりを持っている。
  4.  各々の研究伝統は(特定の理論とは違って)多数の異なる、細部にわたった(そして互いに矛盾することが多くある)定式化を受け、一般的にはかなりの期間にわたる長い歴史を有している。それとは対照的に、理論は短命であることが多い。

 クーンのパラダイム論に登場する科学者は、いったいなぜ研究活動などしているのかがよくわからない。だがラウダンの科学には目的がはっきりある。それは、解決済みの問題を最大限に拡大し、変則的・概念的問題を最小限に縮めることである。科学の目的は「問題解決」であることを、その中身も含めてはっきりと示している。パラダイムにおける通約不可能性は、研究伝統においては選択の基準がある。それはいかに問題をうまく解いているか、だ。どの理論が正しいかについては一致をみなくとも、いったい何が問題かということに関しては立場を超えて一致できるはずだ。どっちが正しい理論かについての「言語」を私たちは共有していないが、別にそんなものはなくても、問題解決能力を基準にすれば、それをもとに合理的に選択できるのである。

 

 

 

 

*1:否定的発見法は、「コアを疑わない」。肯定的発見法は「内部で発生した困難への対処」