データを集める
残念なことに、ちょっと調べたぐらいでは人物像が見えてこない。:
1913(大正二)年 東京に生まれる
1936(昭和十一)年 東京帝国大学文学部哲学科卒業
旧成城高等学校校長を経て
1947(昭和二十二)年 東京大学文学部助教授
1952(昭和二十七)年 文学博士
1956(昭和三十一)年 東京大学文学部教授
1974(昭和四十九)年 定年退官
青山学院大学教授、東京大学名誉教授
1976(昭和五十一)年 逝去
「館長のことば」に岩崎哲学の紹介アリ。
岩崎武雄さんの文章
にんじんが岩崎さんを素晴らしいと思うのは、その文章のわかりやすさにある。
彼のわかりやすさは文章全体の論理性にある。全体の目的、意図、構成を述べ、言った順番に問題を吟味していく。「これはどうか?」と書き、すぐに「こう思う」と答えを出す。そして「なぜなら」と続き、「たとえば」と例をあげる。そんな風に書くのは本来は当たり前なのだがにんじんはこれをここまで徹底した人を他に知らない。だから初めて岩崎さんの本を手に取ったとき、心底驚いてしまった。ひとつも文章に対して文句を言う気になれないのである。しかも恐ろしいことに、表現の方法が「ヤバイ」とか「って思うじゃん?」というような安易な『カンタンさ』に逃げていない。「わかりやすくすると内容が薄くなり、内容が厚くなるとわかりづらい」という意味のことはよく言われるが、彼の文章は「わかりやすく、かつ内容が厚い」のである。
哲学を専門にしていると、どうしても、どうすればやさしい文章を書くことができるかということに多少の関心を持つようになる。むろん哲学のみに限らず、およそどんな文章を書く場合にも、自分の言いたいことをできるだけ分かりやすく表現するということが重要なのは言うまでもないが、とくに哲学は、そうでなくても一般にはじめから分からないものとして敬遠されがちであるから、一般の読者にも理解してもらえるような文章を書くことがいっそう強く要求されてくる。
(「文章のやさしさ」言語生活 (147), 66-68, 1963-12 )
彼はこの文章の中で『原理的にどうすればやさしい文章が書けるか』について考えている。まず第一に、個々の文章のやさしさである。第二に、論文全体がその言おうとすることをはっきり筋を追って述べるということ、である。
われわれはともすると難解な文章を読むと、内容がいかにも高いように思って、それを了解し得ない自分が悪いように考える傾向があるが、われわれはもうこういう態度を捨てねばならない。……(略)……思想の欠陥を難解な文章でごまかしてしまうような不届き者もないとは言えないのである。
(「文章のやさしさ」言語生活 (147), 66-68, 1963-12 )
そして最後にカントやヘーゲルのような天才を挙げ、彼らの文章が第一、第二の条件を満たしていないのかと問う。そして「天才たちは論理的に筋の通らない文章を書いたのであろうか。恐らくそうではあるまい」と言い、第三の条件を述べる。これは第二の条件である文章全体の論理性に付属するものである。それは、一般の人々に理解できる論理性、であった。天才は一般の人に歩調を合わせることができない。だから論理的ではあっても、わかりにくくなってしまう。やさしくなくなってしまう。
彼は凡人はできるだけやさしい文章を書くように努めるべきだろうとして、次のように文章を締めくくる。:
論理的筋道が通らないで、そのくせ深刻ぶる天才ならぬ天才的文章がまだ日本では多すぎるようである。
よく見かける話である。
岩崎さんの「わかりやすさ」を評価しているのはにんじんだけではない。たとえば Ludwig Armbrusterという人は『倫理学』という書籍に対する評にこう書いている。
著者の岩崎教授は、まことに難解な問題をわかりやすく説明することのできる天分にめぐまれた哲学者である。本書の第二章、第三章を読めば、プラトン、カント、ムーア、アリストテレス、ヘーゲル、マルクス、和辻哲郎、J・S・ミルの倫理思想の長所短所を著者の明快な指摘をとおして十分に理解できるであろう。そこでは、各思想家が適切なパースペクティブに置かれているので、明暗が鮮やかになり、その横顔が明確に浮き彫りにされている。
「岩崎武雄「倫理学」」ソフィア 20(3), 90-94, 1971-11
そんな岩崎さんがたとえば「西洋哲学史」というような、哲学全体を俯瞰している著作を遺していることは、にんじんたちにとって幸運以外の何者でもない。しかしふつう、西洋哲学史を知ろうとして真っ先に出てくる本は彼の本ではない。もちろん他にも名著があるからだし、岩崎さんは1976年に亡くなっているのだからそれ以降の歴史は扱えていないという理由もあるだろう。しかし、にんじんはそれでも彼の著作が広く読まれることを切望している。そして、「わかりやすい」著作が増えてほしいと思う。
岩崎武雄著作集
ここでは著作集(全10巻)を紹介する。9巻、10巻の収録論文も記録している。どこを検索しても著作集に収録されているものがはっきりしないからである。
また、著作集から漏れている論説などがないか探すことも目的としている。
第一巻: 歴史と弁証法
第二巻: カントとドイツ観念論
第三巻: 西洋哲学史
第四巻: カント・ヘーゲルとその周辺
第五巻: 哲学のすすめ
第六巻: 倫理学研究
第七巻: カント『純粋理性批判』の研究
第八巻: 哲学体系
第九巻: 哲学論文集(1)
- 文明論と哲学
- 哲学とは何か
- 哲学の理解のために
- 現代哲学の展望
- 実践の論理 哲学雑誌 68(718), 1-17, 1953-06
- 人間性と人間の価値
- 哲学の方法 理想 (341), ????, 1961-10
- 人間観の学としての哲学
- 人間の立場の哲学
- 歴史的必然性について
- 歴史の法則について 哲学 1962(12), 41-54, 1962
- 歴史的決定論について
- 因果律と決定論 哲学雑誌 81(753), 104-135, 1966-10
- 価値論と哲学
- 法と道徳 哲学雑誌 91(763), p1-17, 1976-10
13について、
第十巻: 哲学論文集(2)
- カントとヘーゲルのディアレクティーク
- 批判期の哲学
- 概念の立場と判断の立場
- 一般者の問題
- 歴史における自由の発展
- 時間
- 存在論と知識論
- 認識論
- 科学的認識の限界 科学基礎論研究 4(3), 98-102, 1960
- 科学万能主義を排す
- 「人間機械論」に対する批判 理想 (421), 52-56, 1968-06
- ツァラトストラに於ける超人と永劫回帰
- チェーホフに関する覚書
解説:齋藤忍髄
その他
- カント哲学の現代的意義 (カントと現代) 理想 (498), 81-82, 1974-11
- フェノメナリズム批判--外界の存在の問題に即する真理観の検討 (真理について) 哲学雑誌 87(759), 143-161, 1972-10
- 哲学・思想書と高校生 学校図書館 (199), 10-13, 1967-05
- 文章のやさしさ 言語生活 (147), 66-68, 1963-12
レビュー「西洋哲学史」
良い本をちょっと紹介するコーナーです。
「西洋哲学史 (教養全書)」です。
ものすごく丁寧な本。いつも「本の序文は~」とか「なんでこんなことかくの?」と文句ばかり言っているにんじんですが、こんなに当たり前に書き進めてくれている本に出会えてものすごくうれしいです。ただ、著者が1976年(?)に亡くなっているので、それ以降の哲学史は載っていません。
岩崎武雄さんの本は、ほぼ全部読みやすいです。哲学の本でここまで読みやすいものに出会えたことににんじんは感動しています。( ◜ω◝ )
おまけ
!?