序章
- 自然科学という学問は、生活世界という基盤を忘れはじめから自存自立しているような幻想を抱きそれに呪縛されている―――自然科学の成り立ち「生活世界論」
- 人が意識する手前、つまり、気づく前に生命体としての人が他の人やまわりの状況の間にかかわりが生じている。「こと」が既に成っている―――「受動性の領域」の開拓。ここに独我論、心身二元論の根本的解決がある。
- 「受動性の領域」で生じている幼児と養育者との互いの関係についての考察。つまり「こと」が成り立ちつつある状況にあるわたしたち。その頃のわたしたちと、いまのわたしたちの関係———「受動的相互主観性」から「能動的相互主観性」へ。
- 対象は意識から、無意識の領域にまでわたる―――「その場の雰囲気」「気分」
- 具体的対象だけではない―――「時間の流れ」
日常に起こっているあたりまえのことが、いったいどうやって起こったり起こらなかったりするのかを哲学として解明する。わたしたちの意識にうつる現象を分析するのが現象学。つまり””意識してはいないことも意識することができる””ので、現象学はありとあらゆることをカバーできる。
<現象学の三層構造>
【第一の領域】受動性の領域(自我も他我も現象しないころ)
受動的相互主観性、そしてここから能動的相互主観性への移り行き。
【第二の領域】能動性の領域
能動的相互主観性。日常的な意識活動。そして意識の構造とは。
【第三の領域】人格同士の交わり。自他未分の世界。
第一はすべての下支え。(独我論はこの「下支え」を捉え切れていない!)
下支えなのだから第二・第三と繋がっており、私たちはふつうの意識状態のままで第一の領域を探っていくことができる(脱構築=発生的現象学の方法)
この本の目的の一つは、これまで述べられてきたように、フッサールの現象学を通して、当たり前と思っている日常が、日常生活の真っただ中で、非日常的な驚きに変貌する様を少しでも描写することです。そしてこの驚きに対面して、「一体この驚きはどこから来るのか」、それを明らかにしようと懸命になるフッサールと、考察の歩みをともに推し進めて、「この日常の不思議に目覚めること」、それがわずかでも実現できれば、この本の目的は、達成されたことになります。