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にんじんと読む「日本の自然崇拝、西洋のアニミズム(保坂幸博)」🥕 第二章+第三章

carrot-lanthanum0812.hatenablog.com

第二章 宗教多様性の社会、日本

  •  日本は多数の宗教を抱える国。日本人の「信仰」はどうなっているのでしょうか。私たちは無意識に宗教というものを””心から信じているかどうか””によって考えています。けれど実はそうした信じる・信じないという二者択一の視点は極めてキリスト教的です。たとえば、初詣に行く人は神様を「信じている」のでしょうか。手を拝む行為は信じる信じないと無関係に行われていて、それがなぜいけないのでしょう。なんとなくお社の前で立ち止まり、なんとなく手を合わせる……こうした行為をただ「信じていない」の一点だけで宗教的行為の枠から除外してもいいのでしょうか
  •  宗教は、ある民族やある個人のアイデンティティーを形成する根本要素の一つである―――各民族は自分たちと他を区別するために、宗教という手段をよく使いました。つまり、統一された集団の意識を支えるものが宗教だということです。

第三章 世界の宗教の「発見」

  「君の宗教は何か」この問いを携えて、キリスト教は布教活動を行ってきました。私たちはこう問われたとき戸惑いますが、戸惑ったのは日本人ばかりではありません。

  •  宗教研究というものはそもそも、キリスト教世界で始まったものです。そこでは「世界には宗教はただひとつしかない」「神はただひとつしかない」という絶対的な主張がありました。この主張が、世界の多様な宗教理解の妨げになっています。(一神教の世界観はキリスト教以外にも見られるもので、たとえばイスラム教やユダヤ教がそうです)
  •  『新約聖書』にはパウロが世界中各地の信者たちに向けて書いた手紙があります。そこには「あなたがたは、むなしい騙しごとの哲学で、人の虜とされてはならない」と書いています。この哲学とはギリシャ思想のことです。思想そのものを批判したのももちろんですが、もっと重要なのは、ギリシャ思想を宗教とは認定しなかったことです。つまり、それは人の頭でこしらえたものであって、キリスト教のように神から贈られた光に根差しているわけではない、ということです。
  •  ギリシャ思想家たちが「君らの考えって全然宗教じゃないね」と言われたら「は?」と思ったでしょう。彼ら思想家らの発想は宗教と連続的なつながりのなかにあって、決して断絶しているものではないからです。これは宗教だが、これは宗教ではない、といったようなものではないのです。
  •  「ギリシャ思想は宗教ではない。単なる理性の産物にすぎない」という決めつけは大きな影響を与え続けました。この決めつけはひとつの””離れわざ””で、思想を一つ一つ吟味して批判するのではなく、一つのカテゴリーにすべて押し込めて「人間がやったことなので」と価値を低落させたのです。
  •  宗教というのは思想だけでできてはいません。祈ったりなどのいろいろな活動があります。思想の面を以上のように攻撃したあとで、次は実践への攻撃に移ります。
  •  偶像崇拝。それがキーワードです。「神様は人間に及びもつかないものなのに、ナニカを神だといって崇めている」これが変だといったのです。

 とはいえ、偶像崇拝はなじれても、そこに崇拝という行為があることまでは否定できなかったようです。要するに、「君らは変だ。インチキだ」とまではいえても、そこにある””宗教””自体は否定できなかった。けれども、そういう””宗教””は見えないところにおかれ、「宗教と言えばキリスト教だ」という信念を作り上げてきました。大哲学者たちですら、宗教と書くときはいつもキリスト教を意味させていたのです――――そんななか、大航海時代にまったく異なる別の文化とぶつかったら、抵抗するのは当然の流れです。

  •  そして今も、それは続いています。宗教について研究するのは、布教のためです。はっきりとした目的があります。とある宗教学者が「キリスト教というのは超自然の絶対的宗教などではなく、伝播過程でいろいろの宗教を吸収しながら大きくなってきた歴史的宗教だ」というようなことを言ったところ、大学にいられなくなりました。
  •  キリスト教はこういうことを「品位の傷害」と受け取ります。カール・バルトは宗教研究に拒否的で、だいたい次のような意味のことを言っています。

世界の「諸宗教」の研究に熱心な諸君よ、君たちがそのようにしたいのならば、それもよかろう。ただし、その場合キリスト教のみは、その研究の対象から除外してもらいたい。もし君たちが、あれらの低劣なものを研究し続け、しかもそれらを「宗教」の名で呼びたいのなら、私どもキリスト教は、それらとは全く異質な存在なのだから、その「宗教」というジャンルからははずしてもらおう

日本の自然崇拝、西洋のアニミズム―宗教と文明/非西洋的な宗教理解への誘い

 

 

日本人にとって聖なるものとは何か - 神と自然の古代学 (中公新書)

日本人はなぜ無宗教なのか (ちくま新書)

山岳信仰 - 日本文化の根底を探る (中公新書)

 

 

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