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夏目漱石のまわり

  作家・夏目漱石が亡くなったのは大正五年(1916年)12月9日である。その生涯は四十九年十カ月であった。夏目漱石は四十一歳のとき、振り返ってみて次のように書いている。:

 私といふ者は、一方から言へば他(ひと)が造つて呉れたやうなものである。

「処女作追懐談」

  文科に進んだのも教師になったのも洋行したのも小説を書いたのも、全部人にすすめられた。夏目漱石を作った人にはどんな人がいたのだろうか。

 

米山保三郎

 漱石の高等学校の同級生に、米山保三郎(よねやまやすさぶろう)という友人がいた。漱石は彼のことを「真性変物で常に宇宙がどうの、人生がどうのと大きなことばかり言つて居る」と書いている。

 米山保三郎は漱石に聞いた。「君は将来、なんになるつもりだ」

 その頃、漱石は自分の職業として建築家を考えていた。だからそのように答えたら、米山から反対された。

 

日本でどんなに腕を揮つたつて、セント、ポールズの大寺院のやうな建築を天下後世に残すことは出来ないぢゃないかとか何とか言つて、盛んなる大議論を吐いた。そしてそれよりもまだ文学の方が生命があると言つた。(中略)

 自分はこれに敬服した。さう言はれて見ると成程又さうでもあると、其晩即席に自説を撤回して、又文学者になる事に一決した。随分呑気なものである。

 

 夏目漱石は『吾輩は猫である』の中に、米山を登場させている。曾呂崎が彼である。

 空間に生れ、空間を究め、空間に死す。空たり間たり天然居士噫

 

 

 米山は二十八歳で結核性腹膜炎のために他界した。戒名は天然居士であった。

 

 ところで、『坊っちゃん』に登場する下女・清は、米山の祖母の名前であると言われている。

死ぬ前日おれを呼んで坊っちゃん後生だから清が死んだら、坊っちゃんのお寺へ埋めてください。お墓の中で坊っちゃんの来るのを楽しみに待っておりますと云った。だから清の墓は小日向の養源寺にある。

こころ 坊っちゃん (文春文庫―現代日本文学館)

  実際に小日向の養源寺に行くと「小説 坊っちゃんに登場する きよの墓」があって、そこが米山家の墓なのである。清の坊っちゃんに対する愛情については「母の愛」を主題にしたものだと読まれてきたが、

お墓の中で坊っちゃんが来るのを楽しみに待っております

というのは、その時既に亡くなっていた米山に、清の姿を借りて代弁させたのだと思うと面白い。