にんじんブログ

にんじんの生活・勉強の記録です。

MENU にんじんコンテンツを一望しよう!「3CS」

にんじんと読む「遊びと人間(ロジェ・カイヨワ)」🥕 一だけ

定義

 ライデン大学学長ヨハン・ホイジンガはその著作にて、その主張自体はともかくとして、遊びに関してはその根本的性格のいくつかをみごとに分析し文明の発展における役割を明らかにした。彼の研究を批判的に検討しその欠陥を補おう。

形式について考察したところをまとめて述べてみれば、遊びは自由な行為であり、『ほんとのことでない』としてありきたりの生活の埒外にあると考えられる。にもかかわらず、それは遊ぶ人を完全にとりこにするが、だからと言って何か物質的利益と結びつくわけでは全くなく、また他面、何かの効用が織り込まれているのでもない。それは自ら進んで限定した時間と空間の中で遂行され、一定の法則に従って秩序正しく進行し、しかも共同体規範を作り出す。それは自らを好んで秘密で取り囲み、あるいは仮装をもってありきたりの世界とは別のものであることを強調する。

ホモ・ルーデンス―文化のもつ遊びの要素についてのある定義づけの試み (1974年)

  •   遊びと秘密や神秘(「ありきたりの生活の埒外」)の親近性を指摘したのは大切なことだが、しかし、これを遊びの定義に入れてしまうのはよくない。
  •  次に物質的利益をすべて排したものだと考えると賭博などが遊びから外れてしまう。とはいえ、賭博は「生産」とは関係ない。そこでは富の生産ではなく、富の移動が行われている。遊びは技術や労働とは区別される。
  •  遊びは自由な活動として定義されるべきである。強要されたものは遊びではない。遊びは遊戯者が遊びたいから遊ぶ。遊戯者はいつでも「やーめた」といえる。それが遊びである。
  •  遊びには約束事がある。では人形遊びはどうだろうか。ここでは「なぞらえること」が規則としてはたらいている。

 

 というわけで、遊びは以下のような活動として定義される。

(一)自由な活動。すなわち、遊戯者が強制されないこと。もし強制されれば、遊びはたちまち魅力的な愉快な楽しみという性質を失ってしまう。

(二)隔離された活動。すなわち、あらかじめ決められた明確な空間と時間の範囲内に制限されていること。

(三)未確定の活動。すなわち、ゲーム展開が決定されていたり、先に結果が分かっていたりしてはならない。創意の必要があるのだから、ある種の自由がかならず遊戯者の側に残されていなくてはならない。

(四)非生産的活動。すなわち、財産も富も、いかなる種類の新要素も作り出さないこと。遊戯者間での所有権の移動をのぞいて、勝負開始時と同じ状態に帰着する。

(五)規則のある活動。すなわち、約束ごとに従う活動。この約束ごとは通常法規を停止し、一時的に新しい法を確立する。そしてこの法だけが通用する。

(六)虚構の活動。すなわち、日常生活と対比した場合、二次的な現実、または明白に非現実であるという特殊な意識を伴っていること。

遊びと人間 (講談社学術文庫)

 

 

遊びと人間 (講談社学術文庫)

遊びと人間 (講談社学術文庫)