序文
ヘレニズム期の哲学者たち―――ストア派、エピクロス派、懐疑派―――が人びとの心に訴えたのは、諸派のうちどれを選択するかがその人の生き方を根本的に決定するからであった。
ヘレニズム哲学が衰退してきたのはキリスト教やグノーシス主義が台頭と時を同じくするが、これらは理性的な性格とは異なり、終末論的な約束を伴う宗教だった。ローマ帝国がキリスト教国家となり拡大したその支配力は、それまで自由にやれていた哲学が飛び回り続けるにはあまりに強力すぎた。中世が終わりかけルネサンス頃になると、これらのヘレニズム思想はまた顔を出し始めたのである。しかし、彼らはまた息をひそめることになる。なぜなら学界はヘレニズム哲学よりもプラトンやアリストテレスといった人々に関心を向けたからである。これにはヘーゲルの影響が大きい。
そしていま、ヘレニズム哲学は再び息を吹き返している。古代ギリシャの哲学への関心があまりにも狭すぎたという反省でもあるし、現在の哲学の諸結果が、非常に多くの点で、ヘレニズム哲学と密接に関係していることがわかってきたからでもある。
第一章 緒論
「ヘレニズム」というのは、アレクサンドロス大王の死(前三二三年)に始まり、便宜上、アクティウムの闘い(前三一年)でオクタウィアヌスがマルクス・アントニウスを打ち破ったときをもって終わるとされるギリシア文明、またその後期には、ギリシア・ローマ文明を指す言葉である。
この頃栄えたのはアリストテレスのペリパトス派でもプラトン哲学でもない*1、ストア派・エピクロス派・懐疑派の哲学だった。しかもそれらはアリストテレスの後に発展したのである。ところが前一世紀になるとプラトン主義やアリストテレスの著作が再燃し、ヘレニズム哲学はたいていが一旦立ち消えてしまうのだが。
第二章 エピクロスとエピクロスの哲学
エピクロスは直接的な感覚や感情を証拠として位置づけた。
彼は個物と普遍の区別を認めたが、プラトンとは異なり、普遍が存在するとは考えなかったし、アリステレスと異なり、事物を類と種のもとに分類することに関心がなかった。彼の考えでは、事物を形相だとか基体だとかを使って何かを分析するというのは「内容のない想定と恣意的な規則を立てて、言葉の遊びをしているにすぎない」のであった。言語分析はもちろん重要なのだが、言語分析をしてれば何が正しいとかどうすれば幸福になるとか、そんなことがわかるわけがないのである。
しかし彼はそんなことを言っておきながら、平気で形而上学的なミステリー存在を導入してなにかを説明し始める。それが「原子論」である。彼はありとあらゆるものは原子からなると語った。その原子というのは現代の私たちが化学で習うようなものではなく、ともかくその何かを構成するとされる究極の基本単位であった。彼はこのようなデカすぎる想定の形而上学を導入しはしたが、基本的に彼の語る幸福論に原子論は必要ない。これがストア派と大きく異なる点で、用意した形而上学が道徳理論とほとんど繋がりがないのである。どうやってかはわからないが、冒頭に書いたように、エピクロスは原子論を直接的な感覚や感情を証拠として成立することが証明できると考えていたから、彼は「経験主義者」と呼ばれてしかるべきである。
エピクロスは快楽と幸福を同じと考える快楽主義者であるが、その快楽の内実は少々様子が違う。
われわれが追い求める快楽は、われわれの自然的なあり方そのものを何らかの心地よさによって揺り動かし、ある種の喜びとともに感覚によって知覚される快楽だけではありません。むしろわれわれは、あらゆる苦痛が除去されたときに知覚されるかの快楽を、最大の快楽とみなすのです。
前者を動的な快楽、そして後者を静的な快楽と区別する。そしてこの静的快楽こそが目指される快楽なのである。欠乏によってわれわれには欲求が起こるが、これを充たすことによって生じるのが動的快楽であり、欠乏のなくなった状態が静的快楽である。静的快楽がなければ動的快楽も当然ない。