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にんじんと読む「なぜ心はこんなにも脆いのか?」🥕 ②

 病気になるとしかじかの症状が出るが、症状自体は問題ではない。かぜを引いて咳が出ても、咳が悪いわけではない。それは正常な、役立つ反応である。それが過剰になったり、十分に現れないのが異常な反応である。『ある反応が正常なものか、または異常なものなのかは、それが現れたときの状況がどのようなものかによって決まるのだ』。こうした反応のなかには変化する状況に身体を適応させるために起こるもの、たとえば呼吸や心拍数、体温の調整などがそれだが、そうしたメカニズムがある。これと同様に、「情動」もまた、人間にとって有用なものである。

  1.  たとえば、不安や悲しみといった症状は、予想不可能なタイミングでごく一部の人にだけ現れる、特異な変化ではない。むしろ、汗や咳と同じように、ある特定の状況下ではほぼすべての人に一貫して現れる反応。
  2.  情動が表出する背景には、特定の状況において特定の情動が湧き上がるように調節するメカニズムが存在する。そしてそのような制御システムが進化するのは、それが適応度に影響するような形質に関するものである場合だけ。
  3.  反応の欠如は、有害な結果につながる。
  4.  症状の中には、個体にとっては重大なコストを生じさせるものであっても、その個体の遺伝子にとっては有益なものがある。

 進化的な視点で、情動はシンプルに定義できる。「情動とは、ある種の生物の進化的歴史において繰り返し現れる状況が呈する適応上の課題への対応力を強化するように、生理、認知、主観的体験、顔の表情、行動を調整するように特化された状態を指す」。つまり情動とは状況ごとのモードチェンジである。情動と感情は、それが意識されるかどうかの違いである。嫉妬していると感じなくても、身体は嫉妬用に心拍数を上げたりする。

 情動は人によって数え方が違うからいくらでも種類を増やせるが、進化的に見れば、ツリーとして概略が示せる。まず、すべての情動はポジティブとネガティブに分けられる。すなわち、「機会をもたらす状況」に処するものと「脅威となる状況」に処するものとに分かれる。これに基づいていろいろと状況ごとに分類していくことができるのだが、しかし、現実の状況はこれより極めて複雑である。また情動のラベリングは文化によって異なる。

 とはいえ、同じ状況に接して全員が泣き喚くわけではないように、まったく反応を見せないこともありうる。神経質な人もいれば、鈍感な人もいる。いずれにせよ、極端に走ると進化的にはろくなことがなく余計なコストを支払うことになるが、今ここでの問題は、どうしてこんなに感じ方に差があるのかということだ。これについては「情動の感じ方の程度が違っていても、ダーウィン適応度にはそれほど影響しない」ということが考えられる。肝心なのは状況に応じてある程度適切に反応することであるから、幅が生まれる。私たちは自らの情動をコントロールしようとして瞑想だとかクスリだとかいろいろするが、最も一般的かつ効果的な戦略は「ただ待つこと」だ。主観的な幸福度はその出来事の前のレベルに戻ることが多い。喜びもいつまでも続かないが、悲しみもいつまでも続かないし続けられない。