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にんじんと読む「結婚と家族のこれから」第二章

第二章 家族はいまどこにいるか

 「労働者」が増えてきて生活拠点が「家」でなくなると、もはや家長の権力は効果のないものになる。戦争でかき消されてしまった庶民の声も、戦後となると民法改正によってオヤジの権利は世帯主という形だけのものとなり、法的にも自由になった。逆に言えば、骨抜きにされた家制度が不自然な形で残されている。

 だが家からの離脱を果たした男は自由になっても、女はまだそうではない。工業化の初期段階においてもらえる賃金が女のほうが低く設定されたために、外に働きに出て通勤もあるのに「割に合わない」ということになり、男の給料が上がっていくにつれて、女としてはそういう低賃金の過酷な労働から手を引いていった(もっとも、いまだ農林業・自営業が多く、専業主婦家庭は徐々に徐々に増えるだけで、それほど多くはなかった)。男性が稼ぐ力を持っている以上、女はそれに依存するしかなかった。男が別れるのと女が別れるのとでは生活という意味でまったくちがったのだ。このことは「自由」恋愛にも結婚にも影響する。

 女性が社会進出してくると男性に依存する必要はなくなる。しかし、女が稼ぎの世界に入ったことで到来した社会は両性が自由な社会ではなかった。共働きや、シングル、独身、ルームシェア、マイノリティ等々さまざまな家族のかたちがうまれはしたが、この多様化は①貧困(生活基盤がぐらぐら)、②無償労働(二人とも稼ぎに出たら家のことは誰がやる)、③親の世話(子どもの絶対数が少なく、頼れる選択肢が少ない)などによってそのような生活を余儀なくされている場合が多いのである。

  1.  安定した雇用が行きわたっている
  2.  家事や育児サービスがなんらかのかたちで提供されている
  3.  高齢者を支えるコストが小さい

 このような好条件はなかなかそろわないし、近い将来にもこのようになることはまずないだろうと思われる。