序章 社交への飢餓
現代では社交は無用ではないまでも、生活の周辺的な営みと見なされている。社交はたかだか社会生活の潤滑油にすぎず、より役に立つ人間関係をつくるための手段だと考えられている。それと背中あわせに、人びとは社交という行為の内容をも甘く見ていて、人間が義務や規律から解放されて、互いに優しく許しあう営みだと思いこんでいる。「友達がほしい」という若者は、友達が親や教師より寛容であり、組織の上司や同僚より甘えやすいことを期待している。
どきりとする文章である。この社交に対する「軽視」と、これに続く社交の「鬱陶しさ」を現代人は抱え込んでいる。だが歴史において人間は、社交のために命をかけることさえあった。