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にんじんと読む「明治維新の意味」 第一章

第一章 江戸時代の遺産

 江戸時代の政治は「幕藩体制」という。中央政治を担当する幕府と、地方政治を担当する諸藩という構図だが、中央政府の権力は強く中央の許可なしに婚姻も相続も大規模な普請もできないきわめて中央集権的な体制であった。*1

 藩とは大名が支配する領域とその支配機構のことである。親藩、譜代、外様の三種にわけられる。藩はもともと藩主個人が中心であったが、徐々に独立した経営体となっていった。藩の大小は米の生産で決まっている。人間一人が一日に食べる米は3合とされ一年でおよそ1000合、つまり1石である。100万石というのはつまり100万人を養えるという意味で、すなわち、それだけの領地を持っているという意味である。「両」で示すこともあったが、貨幣価値が安定しなかったので石が使われていた。米の生産は年ごとに変わっていくものなのだが、大坂の役が終わった時に算定された「表高」が江戸時代を通じて大名の格になった。

 幕府の監視は非常に厳しく、参勤交代などで莫大な支出させ(全体の支出の6割ほど)るなどして潜在的な脅威を押さえつけた。朝廷に対しても同様で、宮中の政治的活動を縮小し、非政治的な学問芸術に専念することを義務付けていた。また宗教も脅威のひとつであり「宗門人別改帳(しゅうもんにんべつあらためちょう)」に国民を登録させ、宗教の政治的活動を取り締まり、宗教勢力の侵入を恐れて遂には交際を断った。外国もまた脅威であったが、適度に交流を持ち、安定化に努めた。

 江戸時代の平和によって経済は発展し、人口は増加した。商業についても城下町ができ、消費経済が発展し、大坂を中心に全国マーケットが成立。敵の侵入を恐れる必要がなくなったことで、また、参勤交代のためにも道路や橋が整備された。大名同士の交流も活発になり、また江戸からの文化が持ち帰られることで全国に広まった。識字率も上昇した。しかし米作を中心とし、対外貿易をほぼゼロとした経済の発展には限界があり、江戸時代後期は初期と比べて人口は停滞している。一方、平和によって軍事技術は衰退した。また、幕府は勃興する商業に対する効果的な課税制度を構築できず、西洋のようにブルジョアジーの自己主張の強まりからの議会の成立へと発展しなかった。学問の自由は十分ではなく、取り締まりは強く、人びとは迷信を信じ貧困と不衛生がはびこった。

 

 

*1:「幕府」という言葉は江戸時代後期からのものであり、もとは「公儀」といった。また「藩」も江戸初期には「家中」「領知」と呼んでいた