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「歴史の哲学 物語を超えて」①物語論の大枠

物語論の大枠

 歴史の物語論は「歴史記述のテクストは必然的に”物語”という形式をとらざるをえない」と主張する。それは歴史記述においてその当事者は自分の行為がその帰結をもつと意図しているわけではないからである。たとえば『夏目漱石は1867年に生まれた』という文はまさに生まれたときにそう記述できるような類のものではなく、その子どもが後に夏目漱石という筆名を使うことを視野に入れている人間にしか書くことができない。すなわち、歴史記述は単純な観察文とは違い、当事者が知り得ない行為の帰結を知りはじめの出来事とその帰結を関係づけることができる者によってしか発話されない。

 歴史学は自然科学とは別種の学問なのだと考えたのは新カント派と解釈学だった。自然科学は普遍的自然法則を一般化によって見出しそれをもとに理論を構築する「法則定立的学」であるのに対して、歴史学は過去の個別的な出来事・人物を活写しようとする「個性記述的学」であるという。歴史家は彼らがいかなる状況を生き、なにを望み、なぜその行為や出来事に至ったのかを把握しなければならない。そのためには彼らの内面を表現した日記や文書などのテクストをきちんと解釈してそれを追体験するという解釈学的方法がとられる。だから理解の過程や結果は解釈者ごとに違って当然であって、誰もが同じ解にたどりつく自然科学とは異なる。

 これに対して歴史学と自然科学を同じようにとらえようとしたのがウィーン学団で、出来事の変化をあくまで一般的に法則から導こうとする。だがこうした考え方には数多くの批判が集まった。たとえばルイ十四世の不人気の原因を外交政策の失敗に求めたとしても、外交政策の失敗がすべて不人気に繋がるわけではない。もしすべての原因を詰め込もうとすれば結局ルイ十四世という個別事例の記述でしかなくなってしまうだろう。そして歴史事象というのは唯一の出来事であって、規則性や反復可能性を語る余地がない。

 このような批判を受け止めると、因果関係以外で出来事の帰結を説明しなければならなくなる。このために提案されたのが『物語論』だった。

こうして物語とは、単なる出来事や行為記述の連鎖ではなく、最低、つぎの条件を満たすようにその要素が選択され、配列されたテクストであることになる。第一に、各項はそれに先立つ項から導かれ、あるいは唐突に出現した項もそれ以前との項との首尾一貫性を保ちつつ、後続の項を導くために必要でなければならない。第二に、結末は、当初の設定などからただちに演繹、予言され、はじめから見えてしまってはならず(Gally 23-4)、逆に、最後にあらわれる「機械仕掛けの神」によってすべてが解決してしまうようなストーリーもできの悪い物語である(Gally 29)。いずれも、途中の、また先行する要素の必要を一気に奪うからだ。第三に、ひとつのストーリーには、なんらかの仕方で結末を導くという目的に照らして不要な項が含まれてはならない(Gally 37)。

歴史の哲学―物語を超えて (双書エニグマ 15)

 すなわち、物語とはまず出来事や行為の記述の連鎖であり、振り返ったときに偶然の出来事はないようなものである。唐突に出現するものも後に続く出来事の伏線となって最終項へと向かっていく目的論的なものなのだ。

 物語が出来事の変化を説明するにあたり用いるのは「因果法則」ではなく「自明の理」である。

  1.  700年代初頭、カロリング王家はまだ存在しなかった。
  2.  710年代以降、困難が続く中、シャルルは軍事的勝利に輝いた。
  3.  その結果、751年、その息子によってカロリング王家が創始された。

 軍事的勝利に導いたからといって王家が創始されるわけではない。しかしここで物語をわかりやすいものにしているのは《困難を乗り越え勝利に導いた人物は統治者になるにふさわしい》というひとつのパターンである。自明の理はもちろん普遍性や確実性をもたず法則とは異なり、歴史的決定論など成り立ちようがない。このことは先に述べた解釈学的方法とも異なっている。なぜならシャルルやその息子のテクストをいくら読み込み解釈し追体験しても、彼ら自身はそんなことを意図してはいないからだ。この物語的理解においては共感というものは入り込まない。出来事の意味は自明の理を利用しつつ次のドミノを倒すことである。そして歴史家は最後に「つまりこの物語はこういうことだったんだ」と区切りをつけなければならない。

 そうすると歴史記述というのは史料をもとにした創作の一種であり、たとえば《夏目漱石はこのときこういう気持ちだったんだよ》ということを説明するために人々が自明視しているお話のパターンを利用して出来事を取捨選択しプロットを作るという、およそ客観的な学問とはいいえないようなものなのだろうか。すなわち、歴史というのは「いかにもありそう」な単なるお話なのだろうか。

 自明の理は作者と受容者とのあいだにある一定の型である。その型は過去の類似作品と読解によってうまれ伝統として強化されてきたものだ。重要なのはここには作者だけでなく受容者側の能動的な働きかけが必要であり、出来事と出来事のあいだにある空白をその型によって埋めなければならない。学ばれたある型、繰り返されるある型は自分の現在の経験を再度組織化するのと同時に、他の人びととも共有される。物語が歴史の構造を解明しうるのは、主体やその目的・状況、行為の結果・責任・相互作用、行動の儀礼的・倫理的・宗教的意味など、現実を理解するモデルを物語が提供するからである。

 そうとはいえ、以上、私たちの現実の理解に物語が及ぼす影響、すなわち私たちの実存に物語が及ぼす影響を理解したとしても、疑問は尽きない。結局のところ歴史とはお話に過ぎないのではないか? 物語論の帰結は過去というものが客観的に実在はせず、ただ物語られるものであるという。まるで真の過去というものがあってそれを歴史家が構成しなおすように事態を受け取るのは、前時間過程の外側に立っている神のような視点であり、人間は常に新史料によって改訂され得る最終決定的でない物語から離れることはできない。物語えないことについて、私たちはなにもいうことができない。過去は再構成されるのではなく、いまあるだけのものを用いて組織化されるかぎりにおいて存在する。