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菜根譚について(1~5日目)

 菜根譚はいくつものパラグラフから成る。前集と後集に分かれてはいるものの、その分類には体系性があるわけではないように見えるし、たぶんないんだろう。人生訓が散りばめられており、ひとつひとつ読むだけでもおもしろいのだが、正直もう少し一貫した読み方ができないかといつも思う。

 

 一日につき三、四項読むぐらいが吸収するのにいいかなと思ってそれでわけてます。ご一緒にどうぞ。

菜根譚 (岩波文庫)

菜根譚 (岩波文庫)

 

 

 一日目

前集・一 (大意:真理を住処とせよ)

棲守道徳者、寂寞一時。 依阿権勢者、凄凉万古。 達人観物外之物、思身後之身。 寧受一時之寂寞、毋取万古之凄凉。

真理に住処とする者は一時的には寂しい境遇におかれる。権勢におもねりへつらう者は生涯寂しく痛ましい。

 当たり前だが【道徳に棲守する者】になることを勧めている。

  1.  それはいったいなんなのか=真理を住処とするとはどういうことか
  2.  どうすればなれるのか
  3.  多少はおもねりやへつらいといった処世は必要ではないか

 といった疑問が浮かぶ。西洋とちがって、東洋思想は基本的に証明というやつをしないのでなぜそういえるのかということはあまり問題にしないところがある。問題にしないだけあって、「まあそうだろうな」といえるものばかりなのだが。

前集・二 (大意:世俗を気にしない純粋さ)

渉世浅、点染亦浅、歴事深、機械亦深。 故君子与其練達、不若朴魯。 与其曲謹、不若疎狂。

処世の経験が浅いと世俗に染まることも浅く、経験が少ないと世のからくりに通じることも少ない。だから君子は飾り気なく気が利かないほうがいいし、ていねいすぎるより粗略なほうがいい

  大意としては上のように書いたが、はっきり言ってこの項は疑問が多い。いわゆる「ふつうの生活」の経験がほとんどないやつを「できた人」とは思わない。単にモノを知らないだけである。知ったうえでそれでも純粋さを持って、有徳に行動できる人こそ尊敬できるものと思う。たとえば赤ん坊はまったく世俗に染まっていないが、誰も君子だとは言わないだろう。

 この項はあくまで「やりすぎると」「こだわりすぎると」ということで理解したい。

前集・三 (大意:人が勝手に理解してくれることを求めるな)

君子之心事、天青日白、不可使人不知。 君子之才華、玉韜珠蔵、不可使人易知。

君子の心ばえは誰にでもわかるように、才能はわかるようにしていてはならない。

 これは「君子の処世術」の一種だろう。どうだすごいだろうとばかりに見せつけると、人から疎まれる。どうしてそんなことをしてくれたのだかはっきりしていないと陰険だと思われる。だから……、というわけだ。もっともなことだ。

 逆にいえば、他人は自分の行動の理由を決して理解してはくれないということである。以心伝心など無理なのである。ためになるだろうと思って何かをしても、相手はまるで責められたような気分になることがある。そこにちょっと「いや、こういうことだったんでやった方がいいかと思って」と説明してあげれば気が楽になるわけだ。

 たとえ純粋に「こんなことがあって~」と楽しく話していても、相手はマウントをとられたと思って嫌な気分になったりする。自分ができること、何かを持っていることを楽しく話したことをいったいどう説明すれば相手が嫌な気分にならないか? そんな方法はない。だからわかるようにしていてはいけないのである。

 

前集・四 (大意:金・権力・知恵・テクを避ける)

勢利紛華、不近者為潔。近之而不染者為尤潔。智械機巧、不知者為高。知之而不用者為尤高。

贅沢だとか豪華なものに近づかないのが一番いい。でも近づいても染まらないならもっともいい。権謀術数を知らないのは一番いい。でも知って使わないならなおよい。

  菜根譚は基本的に、「金」「権力」だとか「こざかしい知恵」だとか「テクニック」だとかが大嫌いである。ずっと後の項では「何の役に立つの?」とさえ言っている。これらを知らないこと。知っても使わないことは第2項における「世俗に染まらない純粋さ」と繋がっている。

 しかし、これらのことが全くない奴は生きていくことは到底できないように思われる。お金なしに生活できるならそれに越したことはないが、日本に住む以上は必ず家賃か固定資産税、そして住民税を払わないといけない(この制度もそういう意味ではどうかと思う)。

 

 

菜根譚 (岩波文庫)

逆境に負けない力をつける! こども菜根譚

中国古典の知恵に学ぶ 菜根譚 (ディスカヴァークラシックシリーズ)

二日目

前集・五 (大意:逆境は向上の砥石だが、順境は毒)

耳中常聞逆耳之言、心中常有払心之事、纔是進徳修行的砥石。 若言言悦耳、事事快心、便把此生埋在鴆毒中矣。

自分と異なる意見、思い通りにならないことは徳に進み行いを修めるための砥石である。しかしそれとは逆に同じ意見、思い通りになっている状態は人生を毒の中に埋もれさせているようなものだ。

  この手の文句は菜根譚に非常に多い。「順境でも油断するな」ぐらいならわかるのだが、「順境はカス」と来るので面食らってしまう。毎日いやなことばっかりのほうがいいというのだろうか。逆境は別に「いやなこと」ではないという心を持っていなければならないということなのか。

 油断するなぐらいで解したい。

 

前集・六 (大意:喜びを持て)

疾風怒雨、禽鳥戚戚。霽日光風、草木欣欣。 可見天地不可一日無和気、人心不可一日無喜神。

暴風の日には鳥さえも恐れ鳴く。穏やかな日には草木も生き生きとして喜んでいるようである。天地には一日たりとも和気がなければならない。これと同様に、人の心にも喜び楽しむ気持ちがなければならない。

 菜根譚、たとえがわからないシリーズ。先ほどの五項を鑑みれば、別に喜んでいるからといって順境ではないようである。また、別に喜べといってもアハハと笑っていろというわけでもないように思える。違う意見を「あぁそういう考えもあるのか」と思ったり、思い通りにならないことがあると「こうなるとは思わなかった。なるほどな」とよろこんだり、そういった気持ちが大事だということかもしれない。

 

前集・七 (大意:至人は平凡なもの)

醲肥辛甘非真味。 真味只是淡。 神奇卓異非至人。 至人只是常。

濃厚な味は本当の味じゃない。本当の味は淡白なものなのだ。これと同じく、至人というのも奇異な才能を発揮する人じゃなく、世間並みのふつうの人なのである。

  菜根譚は才能があるとかそういうのは嫌いである。とはいえ「へー、普通が一番いいのか」などと受け取ってしまうと誤解が生じる。あくまで「道徳に棲守する(第一項)」ような人が至る場所が平凡なのだ。平凡な人はこの世に腐るほどいるが、君子かどうかはわからない。

 よかった、俺平凡じゃん、と思わず安心しそうになる危険な項である。

 

前集・八 (大意:暇なときこと備えよ。忙しいときこそゆとりを)

天地寂然不動、而気機無息少停。日月昼夜奔馳、而貞明万古不易。 故君子、閒時要有喫緊的心思、忙処要有悠閒的趣味。

天地は動かないがそのはたらきは休むことがない。君子はひまなときにはとっさの場合に応ずる心構えを持ち、いそがしいときにはゆとりを持たなければならない。

 今日は順境と逆境に関する話が多い。いくつか視点を変えてうろうろはしているが、つまり「いい感じ ←警戒!」「ヤバい ←今こそ!」ということを繰り返している。

 

 

三日目

前集・九 (大意:一人静かに過ごすこと)

夜深人静独坐観心始覚妄窮而真独露毎於此中得大機趣既覚真現而妄難逃又於此中得大慚忸

人が寝静まったあとに自己の本心を観照するともろもろの妄念が消滅して真心の現れてくるのを覚える。真心があらわれても妄念が払い去りがたいことを悟ると、そこで大懺悔心を生じて成道へ発心する。

  つながりやすい社会だからこそ一人の時間を持つことが難しい。そこでみんなが寝静まった夜にひとり座って反省すると見えてくるものがあると言っているのだと思う。大変によくわかる話である。そういう意味では「夜寝静まったあと」に限らず、独りになる時間のほうが大事だろうから、大意としては「一人静かに過ごすこと」とした。

 

前集・十 (大意:順境と逆境ー人間関係も然り)

恩裡由来生害故快意時須早回頭敗後或反成功故払心処莫便放手

温情の厚いときに思わぬ災害のあることがおおい。だから得意な境遇のときには後々の覚悟をしたほうがいい。また、物事は失敗した時にかえって成功のチャンスをつかむことがおおい。だから失敗した時こそ投げ出してしまってはいけない。

 これもまた「順境」と「逆境」に関する項である。いろいろの角度からこれを書いているわけだ。

 

前集・十一 (大意:淡白な生活をせよ)

藜口莧腸者多氷清玉潔袞衣玉食者甘婢膝奴顔蓋志以澹泊明而節従肥甘喪也

 日頃、粗衣粗食に甘んじているものはけがれのない心の者が多い。人間の操守は、たんぱくな生活によって磨かれる。豪奢な生活によって失われる。

  菜根譚の「権力」「金」「知恵」「テク」嫌いのひとつ。しかし実際、この淡白な生活というのをやってみると、別に大して困らないことに気づく。一品減らすのをいつまでも続けるとゼロになるのでよくないが、必要最低限を目指しても特に悪いことは起こらない。世に言う「ミニマリズム」は、自分にとって必要なものについては贅沢の限りを尽くそうとするので、これにはあたらないように見える。

 

前集・十二 (大意:?)

面前的田地要放得寛使人無不平之歎身後的恵沢要流得久使人有不匱之思

現世の心構え。心を広く持って不平不満で嘆く人がないように。あの世に行くにあたってはその恩恵を長く後世の人に乏しい思いをさせないようにするのがいい。

  ちょっと理解しにくい項。まず心をひろくもって不平不満がないようにというのも、死後に恩恵を残して行こうというのもちょっと妙な気がする。菜根譚に従えば、後世に残すものはまったくないし(金はもちろんないし、特別残すべき思想も持っていない)、心を広くしていようが不平不満は人々から出てくるものだから。

 

 

諸子百家―儒家・墨家・道家・法家・兵家 (中公新書)

諸子百家 (講談社学術文庫)

諸子百家――中国古代の思想家たち (岩波新書)

四日目

前集・十三 (大意:処世術。一歩退くこと)

径路窄処留一歩与人行滋味濃的減三分譲人嗜此是渉世一極安楽法

狭い場所では道を譲り、おいしいものは三分ほど譲る。これが安楽な方法だ。

  菜根譚で好きな項。はじめから譲ることを決めているのがいいし、またうまいものがあったときに「全部譲る」のではなく「三分譲る」というのがちょっとほほえましい。

 

前集・十四 (大意:至人は平凡)

作人無甚高遠事業擺脱得俗情便入名流為学無甚増益功夫減除得物累便超聖境

立派になるのに大事業をやらなくても、俗念さえ落とせばそれでよい。学問をやるのでも、知識を増やす工夫などなくっても、心わずらわされることを減らし除くことができればよいのだ。

  ここでもまた「至人」の平凡さについて語られている。後部においては、学問をやるということが知識を増やすことではなくむしろ減らしていくことだというのが語られていると思う。何かが分かるというのは、たとえば真偽を分かつことであるけれども、本当になにかを把握するというのはそのように分かつことによってではなく、むしろそれを「全体として」、「ひとつのものとして」みることなのだ。

 ……といっているかのように思われるけど、どうでしょう。特別に「物知り」である必要はないといっているわけですね。

 

前集・十五 (大意:?)

交友須帯三分侠気作人要在一点素心

 友と交わるには利害打算ではなく三分の義侠心を持ち合わせ、立派な人物になるには少なくとも一点の本心を残しておかなければならない。

 前段。利害打算で友と交わるのは不誠実なことである。しかし一切そういったものがないかといえば、やはり嘘になる。そこで、必ず三分ほどの義侠心を差し入れておくのがよい。……義侠心ってなんだっけ、というと、《正義を重んじて、強い者をくじき、弱い者を助ける心》である。

 後段。むしろ本心は「一点」程度でいいのか、と思えてしまう。あまり頑なだといけないだろうが「少なくとも一点」程度では道徳に棲守するとはいえないのではないか。

 ちょっと今のにんじんでは意がくみ取れない。

 

前集・十六 (大意:争わない。しかし遅れてはならない一点)

寵利毋居人前徳業毋落人後受享毋踰分外修為毋減分中

人からの恩恵は控えめに、他人より先にとってはいけない。しかし人のための徳行は進んで行い、他人に遅れてはいけない。

 ぜいたくはいけない。欲が深いのはいけない。欲が深いと人と争うことになる。けれども徳行だけは人と争うように、誰より先にやる心構えが必要である。

 十三項と似たようなことを言っている。しかしこれは徳行について進んで行うことを言っているので完全に重複しているわけではない。

 

 

五日目

前集・十七 (大意:処世術・譲る)

処世譲一歩為高退歩即進歩的張本待人寛一分是福利人実利己的根基

世渡りするには一歩譲る心掛けが大事。そうすることで自分が後で一歩進める伏線となる。また人と接するときには一分は寛大にする。これによって自分のためとなる土台になる。

  譲ることが、自分を利することの土台となることを言っている。結局自分のためじゃないかと非難されそうな項だが、譲り合ってお互いに得をするのだから単に利己的ともいえない。

 

前集・十八 (大意:?)

蓋世功労当不得一個矜字弥天罪過当不得一個悔字

どれだけ大きなことを成し得ても自慢する心があるなら「矜」があるとはいえない。どれだけ悪いことをしても本当に後悔する心が起こればよい

 全部は名誉心を捨てよということだが、後部はよくわからない。上はだいぶ粗い訳になってしまったが《天下に満ちわたるほどの大きな罪過も、(それを後悔する心がほんとうに生じたらすっかり消滅してしまうので)「悔」という一言に相当することができない》と岩波では訳されている。しかし、何を言っているのかよくわからない。

 後悔した程度で罪が消えるものだろうか、という疑問にどう応えるのだろう。

 

前集・十九 (大意:処世術・譲る)

完名美節不宜独任分些与人可以遠害全身辱行汚名不宜全推引些帰己可以韜光養徳

 完全無欠な名誉や節義などは自分だけで独占せず、人に分かち合えば無難に済む。わるい行為や評判などもすべてを人に押し付けず少しは自分にもかぶるようにするのがよい。

  一歩退く、という話をさらに別の側面から見ている感じ。より一般的にいえば、「満たしすぎもいかんし、減らしすぎもいかん、ちょうどいいのがいい」ということになるだろうか。これが処世術ということになりそうだ。

 

前集・二十 (大意:ちょうどいい塩梅で)

事事留個有余不尽的意思便造物不能忌我鬼神不能損我若業必求者巧必求盈者不生内変必召外憂

何ごとにもゆとりを残し控えめに。満ち足りることを求めたなら内部か、外部から必ず心配事を招く。

  ここで一旦しめくくりを感じる。

  (五日坊主の予感)