第一部 簡単な要旨
数えられるものすべてが重要なわけではなく、重要なものすべてが数えられるわけではない
測定することは改善へ向けた船出であり、組織が責任を果たせるようにするためのものだ。実績は測定されたものに落としこむことができると考えられ、多くのことが文書化され、目標が設定され、ミッションが要求される。だが実はこうした取り組みが意図せず好ましくない結果を生じさせることが知られている。そうであるにも関わらず、依然として測定に関する信念を持続している状態のことを「測定執着」と呼ぼう。
測定がはじまると、測定されるものばかりに注目が集まりそのほかの重要な目標がないがしろにされる。それを防ぐためにまた新たに測定基準を追加し、さらに測定を増やしていく。データは集まるが役に立たず、データを集める労力ばかりが重なっていくのである。それをやらされる内部の人々は「なんでこんな数字に振り回されないといけないんだ」と士気が低下し、指標を操作し始める。こうした努力が、組織に機能不全をもたらす。彼らは不利な事例の報告をせず、悪い場合はでっち上げるからだ。測定が大好きな組織は実績に報酬を与えており、こうしたことがさらに改竄行為に拍車をかける。長期的な目標は遠ざけられ、目先の数値達成ばかりに目が向けられ、イノベーションや独創性は低下する。
- 測定されるものに労力を割くことで、目標がずれる
- 短期主義の促進
- 従業員の時間にかかるコスト
- 効用の逓減 コストが高すぎてしかも継続的にかかるので、利益を上回る
- 規則の滝 不正を止めようとして規則が乱立し、組織の機能が鈍化する
- 運に報酬を与える 関係者が結果に影響を与えられないことまで測定してしまう。しかも報酬や罰を与えたら、特に罰を与えたら、無茶苦茶である
- リスクを取る勇気の疎外
- イノベーションの疎外
- 協力と共通の目標の阻害
- 仕事の劣化
だが私たちは測定によって得られるメリットを知っている。悪いことばかりではない。問題は、こうした機能不全を起こさせずに、測定を活用することなのだ。そのためには測定がどれぐらいの利益をもたらすのかを考えることである。