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にんじんと読む「徳倫理学について(ハーストハウス)」🥕 義務論、功利主義、徳倫理学

倫理学の位置づけ

 行為功利主義者が「正しい行為」について記述するならば、《行為は、それが最善の結果をもたらす時、またその場合に限って、正しい》(p.39)となるだろう。功利主義者は正しい行為と最善の結果という二概念を結び付ける。そして次に《最善の結果とは、そこにおいて幸福の最大化がもたらされるもののことである》(p.39)として最善の結果と幸福を結び付ける。

 義務論者は「正しい行為」について記述するならば、《行為は、それが正しい道徳規則や道徳原理に則している時、またその場合に限って、正しい》(p.39)となるだろう。そして次に《正しい道徳規則(原理)とは、………》(p.39)と続き、この後には様々なバリエーションがある。

 では徳倫理学は「正しい行為」についてどう記述するのか。

前提1. 行為はもし有徳な行為者が当該状況にあるならなすであろう、有徳な人らしい(つまり、その人柄にふさわしい行為である時、またその場合に限り、正しい。

前提1a. 有徳な行為者とは、ある性格特性すなわち徳を持ち、かつ働かせる人のことである。

前提2. 徳とは、以下のような性格特性である、すなわち……。

徳倫理学について

 徳とは何かについてどう述べるかはバリエーションがある。たとえばアリストテレス主義者ならば《徳とは、人間が幸福や繁栄、つまりよりよく生きるために必要とされる性格特性である》(p.43)とするだろうし、たとばヒュームならば《徳とは、それをもつ人あるいはそれ以外の人々にとって有用である、あるいは心地よい》(p.43)性格特性であるとしただろう。