にんじんブログ

にんじんの生活・勉強の記録です。

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2023-01-01から1年間の記事一覧

にんじんと読む「論証のルールブック」序章、第一章

序章 「論証する」とは、結論を支える一連の根拠や証拠を提示することを意味する。 それは単に自分の考えを主張することだけではないし、口喧嘩をすることとは異なる。論証とは特定の考えを根拠で裏づけようとする行為である。論証が無意味なものではなく、…

(メモ)「よりよく生きるということ」から

ほとんどの人は、その内容はともかく自分たちが望んでいるのは幸福だということに同意するだろう。だがどうすれば幸福になるのか、ここに二つの立場がある。 一つは欲求が満たされたとき、別の言い方をすれば欲しいものを持ったときである。ここにおける欲求…

にんじんと読む「スマートな悪」

重量は価値中立的だが、「スマートさ」はそうあるべきとされている。私たちの身の回りはスマートフォンからスマートウォッチまでさまざまあり、国は超スマート社会を目指すべき未来像として掲げている。いったいスマートさとはなんなのか。果たしてそれはよ…

にんじんと読む「職場の現象学」第一章~第三章

第一章 「たった一人のあなたの実感」から始まる現象学 電車が揺れて隣の人の足を踏んでしまったとき、私たちは自分でそれが「故意」かどうかわかっている。その理由をあえて言葉にすれば、わざとやるときにはわざとやってやるという思いが先に来るけれども…

にんじんと読む「現代日本語文法Ⅰ」 途中まで

文法とは何か 人間の言語は、有限の要素と少数の構成規則から表現形式を作りあげることにより、無限の意味内容を伝達することができる。文法とは単語から文が形成されるときの法則である。文法の基本単位は「文」そして文を構成する「単語」である。単語は、…

にんじんと読む「哲学がわかる懐疑論」 第一章

第一章 懐疑論とは何か 「懐疑論」とは、疑念を抱くことである。何かについて懐疑的な態度をとるとは、それについて疑念を抱いているということである。つまり、問題の物事を信頼してよいものか不審に思っている。懐疑論を程度をわきまえさえすれば、多くの…

生物学と、人類の歴史について

宇宙誕生からカンブリア爆発 生物について 進化 ダーウィンの功績・進化についての注意 生態系とは ホモ・サピエンスについて 誕生 ネアンデルタール人vsホモ・サピエンス 人類の特徴 人類の歴史 宇宙誕生からカンブリア爆発 (これより前は空間も時間もない…

にんじんと読む「老年学に学ぶ サクセスフル・エイジングの秘密」第二章

第二章 「老いの価値」「老いの意味」 エイジズムとは、高齢者に対する差別と偏見のことである。その根は非常に深く、誰もが老いを<徹底的な若さの喪失><老衰に向けての後退><社会のお荷物><無力で依存した存在>であると定義してしまう。 医療従事者…

にんじんと読む「老年学に学ぶ サクセスフル・エイジングの秘密」第一章

「長い余生を、健康で楽しく暮らしたい。そして、最後までボケずに、安らかに死にたいものだ。そのためには、これからどんな暮らし方、どんな生き方を選択すればよいのか」 老年学に学ぶ―サクセスフル・エイジングの秘密 (角川文芸ブックス) 長寿法や健康法…

にんじんと読む「フッサールにおける価値と実践」 第六章:有限性、愛、人生の意味

第六章 有限性、愛、人生の意味 理性的に生きること、熟慮して選び取ること。そのように生きることがよく生きることと言い切ってしまってもよいのだろうか。こうした疑問が前章で残ったのだった。私たちがもしすべてをコントロールできるならきっとそうなの…

にんじんと読む「〈見すてられ不安〉に悩んだら」

見すてられ不安とは、このまま続くと思っていた状況(人間関係のつながり)が不意に脅かされたりしたときに覚える不安のことである。たとえば離婚する場合はもちろん、老いを感じることもこれに含まれる。このような不安を抱くことは人間にとって普通のこと…

不安という感情について

感情というものと価値とのつながりについては他記事参照のこと。 進化論的に見た情動 自然選択は私たちを助けない 情動:状況に対するモード 不安の役割 補論:パニック障害と過呼吸 進化論的に見た情動 自然選択は私たちを助けない 私たちは心が脆すぎる。…

国家について

国家とはなにか 暴力による定義 暴力の種類 国家の誕生 秩序と支配の保証 国家の誕生 国家を正当化する アナキズム 国家とはなにか 暴力による定義 私たちにとって「国家」とは、憲法があり法律があること、すなわち政治機構のことである。つまり人間共同体…

にんじんと読む「フッサールにおける価値と実践」 第五章:道徳的判断と絶対的当為

第五章 道徳的判断と絶対的当為 道徳的判断とは、ある行為をある状況のもとでなすべきであるとみなすことの表現である。一般的に、この「(作用が)表現される」ということには三つの区別がある。 表現される作用が意味付与作用(他の作用を確証させる)とし…

価値について

価値の”客観"主義 情動との関係 正当な情動とはなにか 結論 世界のなかの事物はたとえば青かったり、四角かったりするが、同時に、美しかったり、おいしそうだったりする。私たちに与えられる対象はすべて、単なる事実的なものであるだけでなく、価値的なも…

にんじんと読む「進化倫理学入門」

なぜ自然選択は、道徳的に考え(しばしば)道徳的に振舞うヒト科の生物にとって有利に働いたと考えられるのか? 道徳的に考え道徳的に振舞うヒトは、どのようにして自然選択から生み出されたのか? 第一章 自然選択と人間本性 すべての個体は平等につくられ…

死、そして老いることについて

死ぬこと 死の宗教的意味 令和元年簡易生命表の概況 自然淘汰における死の意味 生物の基本形は不死 死はプログラムされた 老いること 死ぬこと 死の宗教的意味 どうにもならないことだが、私たちは誰しも最後は死んでしまう。これは私というものの最大の喪失…

分類について

恣意的に区切ること 分類作業へ 分析すること 恣意的に区切ること 分類は対象をなにかとなにかに区切る。対象もなにかも、すべて言葉である。だが実は言葉というものは既に、区切られているのだ。たとえばりんごはりんごであり、りんごではないものとは違う…

にんじんと読む「分類という思想」

第一章 名づけることと分類 なんであれ、何かを分けるためには、何かになまえをつける必要がある。(略)従って分類と、なまえあるいはコトバは不可分の関係にある。 分類という思想 (新潮選書) だからまずは「なまえ」について書く。丸山圭三郎『文化のフェ…

(メモ)「ヒトはなぜ死ぬ運命にあるのか」

第一章 自然淘汰的死亡説 天文学者フレッド・ホイルは言った。生命が偶然作られる確率は、「がらくた置き場を竜巻が通ることによって、たまたまボーイング747が組み立てられる」のと同じだと。だが現に生命はある。それは自然淘汰というものの働きが、一…

現象学的還元とはなにか(メモ)

現象学的還元は、現象学においてその中核を担う方法論でありながら、その内実は漠然としていて捉えどころがない。それは一言でいえば「自然的態度から超越論的態度へ」であるが、単なる態度変更にとどまるならば「現象学者らしくがんばりましょう」と似たよ…

明証性の原理について(メモ)

現象学が方法的に基礎をおいているのは「明証性の原理」である。それは、明証性から汲み取ったのではない判断(その判断に対応する事象や事態をそれ自身としてわたしに現前させる経験から汲み取ったのではない判断)を決して行ってはならないし、まったくそ…

にんじんと読む「フッサールにおける価値と実践」

第一章 価値にかかわる経験 【第一章要約】 評価作用を非客観化作用とみなすと、客観主義的な直観と合わない。 → フッサールはもはや客観化/非客観化という作用の区別を放棄することにする。 フッサールは、対象にかかわる体験を、作用と呼ぶ。あらゆる作用…

これまでの哲学記事の要約(おためしAI)

ChatGPTを使って、にんじんブログを要約してもらいました。 かなり古い記事なのでChatGPTのほうが簡潔でわかりやすいです。 「欲望について」 「今、あなたは何か欲しいものがあって、それを手に入れようとしてこの文章を読んでいるんだよ。例えば、ポイント…

にんじんと読む論文「フッサール生活世界の現象学」

cir.nii.ac.jp フッサール論文『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』(『危機』)において、彼は学問の危機を論じた。科学技術は人類の無限の発展と繁栄を約束してくれるかに見えたが、それは第一次世界大戦の惨禍を招き、そしてまた、「この人間の生存…

葬式ってなに?(日記)

2023.02.12記 もしにんじんが自分の葬式を仕切れるなら、葬式をやれとは言わない。 なにしろ死んでいるのでにんじんにできることは何もないし、集まられたところで彼らを癒すことにもならないからだ。治療費もかさんだだろうに、経済的負担が大きいのも申し…

にんじんと読む「フッサールにおける超越論的現象学と世界経験の哲学」 第二章途中まで

はじめに 世界があり、事物があり、我々がいる。我々は世界のうちで行動し、様々なことを経験し、世界について種々の知識を持つ。(p.i) これほど自明なことにも、哲学は疑いのまなざしを向ける運命にある。デカルトが『省察』で行った懐疑論の爆撃は、私た…

にんじんと読む「生の肯定」 序章

序章 本書の狙いは、ニーチェの哲学的プロジェクトについての一つの体系的解釈を明確に提示することである。 ニーチェ哲学は、ばらばらのテーマを扱い中心がないとする人々もあり、逆に中心的な学説を特定し他のすべてをそれをもとに説明しようとする人々も…

にんじんと読む「測りすぎ なぜパフォーマンス評価は失敗するのか」

第一部 簡単な要旨 数えられるものすべてが重要なわけではなく、重要なものすべてが数えられるわけではない 測定することは改善へ向けた船出であり、組織が責任を果たせるようにするためのものだ。実績は測定されたものに落としこむことができると考えられ、…

にんじんと読む「パラダイム論を超えて」 パラダイム

パラダイム ある業績がパラダイムであるとは、次の2特徴を持つことである。 その業績が、他の競合する科学研究活動を捨てて集まる支持者の持続的グループを形成させるほど十分ユニークなものである。 その業績が、再構成された研究グループに解決すべきあら…