にんじんブログ

にんじんの生活・勉強の記録です。

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2022-01-01から1年間の記事一覧

幻想

2022.08.13記 幻想のうち、もっとも根源的なものは進歩である。 しかし、いつまでもは歩けない。だからできるだけはっきりとした目的地を探索しようとする。これを幸福とか、聖者とかいう。だがそれは幻想の上に成り立つ妄想にすぎない。妄想だからはっきり…

にんじんと読む「怒りの心理学」

過去記事のまとめ 第一章 怒りの理論 第二章 怒りの認知 第三章 怒りの表出 第四章 怒りの鎮静化 第五章 怒りの健康への影響 第六章 怒りのコントロール 第一章 怒りの理論 基本感情: 驚き・喜び・恐れ・嫌悪・悲しみ・怒り これを4つの側面から眺め、その…

にんじんと読む論文「フッサールにおける本質認識とアプリオリ性」 アプリオリについてのカント的な考え方

cir.nii.ac.jp アプリオリについてのカント的な考え方 カントのいう「アプリオリ」という概念は、認識論的な概念であり知り方を特徴づけるものである。だからある命題がアプリオリであるというのは「その命題はアプリオリに認識される」の省略形として理解さ…

にんじんと読む「おしゃべりな腸」

過去記事のまとめです ① ② ③ ④ ⑤ (ウンチのお話 中身・色・形) ① 人体は三本のチューブでできています。神経・血管・消化管。 口から入って管をまっすぐ進むと、肺と枝分かれ。少し下ではまた枝分かれがあって肝臓へ。食道に胃を通り、遂に「腸」へ達しま…

にんじんと読む論文「合理論と経験論における生得観念について」

cir.nii.ac.jp 合理論と経験論における生得観念について 観念とは、「われわれの意識の内容として与えられている、あらゆる(現実の、また空想上の)対象」をさす(デカルト、ロック以来の用法)。 岩波 哲学小辞典から。 これが今日の一般的な「観念」の理…

にんじんの書棚「猫に学ぶ いかに良く生きるか FELINE PHILOSOPHY Cats and Meaning of Life」

恐怖に追い立てられてできた宗教、そして哲学。ヨーロッパ哲学の三大潮流、エピクロス派は「病後療養所」のような雑音を一切許さない心休まる静寂だけが支配する「神経衰弱的幸福」に論じ、ストア派は合理的秩序を見出し宇宙と一体であることを認識し救われ…

世の中は案外てきとう(日記)

2022.08.03記 労働者を死に追い込もうが、不衛生な調理場で食事を作ろうが、名誉棄損をしようが、当たり前のように活動を続ける様を見ていると、なんてことだと悲しくなる反面、こういう人達でも平気でいるのだから世の中なにをしても平気ではないかと頼もし…

にんじんと読む「社交する人間」 序章

序章 社交への飢餓 現代では社交は無用ではないまでも、生活の周辺的な営みと見なされている。社交はたかだか社会生活の潤滑油にすぎず、より役に立つ人間関係をつくるための手段だと考えられている。それと背中あわせに、人びとは社交という行為の内容をも…

にんじんと読む「グライス 理性の哲学」 ④途中まで

④ 重要なのは、日常言語の実際の使用のうちで「意味」にかかわる事柄とそうでない事柄を区別することである。そこでグライスが作り上げたのが会話的推移の理論である。グライスが批判する論者たちは共通して『ある表現がある条件下ではふつう使われないとい…

にんじんと読む「グライス 理性の哲学」 ③

③ しかしグライスの概念分析という目的は、ある語に共通するものとしての「意味」を探し出そうとする一昔前の哲学に逆戻りするように思われる。日常言語学派においては「意味」と「使用」という区別をなくし、意味とは使用なのだというスローガンを掲げてや…

にんじんと読む「グライス 理性の哲学」 ②

② オースティンの哲学のやり方をみよう。 たとえばあなたが人をぶん殴ったらあなたに責任がある。だがもし伸びをしようとして腕を伸ばしたときにうっかりぶつけてしまったなら、普通に殴りつけるより責任は軽いだろう。つまり「行為の責任というものは自由な…

にんじんと読む「グライス 理性の哲学」 ①

① グライスは、オースティンと同様に日常言語に重きをおく方向へ進んだが、日常言語の使い方をつぶさに見るという方法の先にあるものはオースティンとは違っていた。オースティンは言葉の意味というものを考えるのを戒めたが、グライスの目的はまさに概念を…

にんじんの書棚「すばらしい新世界」

胎児の段階からさまざまな条件付けが施され、人々は激しい感情を抱くようなこともなく、自らの立場をすすんで受け入れる。彼らはまったく自分の思うように生きているのであって、楽しいと感じることや意義のあると感じる仕事に打ち込み、嫌なことがあればソ…

にんじんと読む「自我の源泉 近代的アイデンティティの形成」 ②

② 我々の目標は、私たちの持っている道徳的直観を明確化する存在論である。ここで明確化されるのは、正しさに関するどんな主張においても前提とされている背景であり、つまり、それがどうして正しいのかと問われればそこに立ち戻らざるを得ない。明らかにこ…

にんじん映像庫「DEEP BLUE SEA ディープブルー」

サメ映画といえばジョーズあるいはディープブルーといっても良いほど有名な作品である。遺伝子操作で知能が発達した三頭のアオザメが研究施設アクアティカの人々を襲っていく。サメを回避したり撃退するのももちろんだが、サメがいかに人間を襲い殺すのかも…

にんじんと読む「自我の源泉 近代的アイデンティティの形成」 ①

① 人間という主体であること、あるいは人格であること、あるいは自我であることがいかなることであるかについて、わたしたちが持っている近代的な考え方を「近代的アイデンティティ」と呼ぶ。そしてまず確認しておかなければならないことは、自我のあり方と…

にんじんと読む「なぜあの人のジョークは面白いのか?」

「ユーモア」と「笑い」は刺激・反応であり、区別される。ユーモアはくすぐることなのだ。ユーモアの主要な要素は不調和であり、フリとオチが別々のほうを向いていてしかもうまく解消されている。ばかげていることは笑いの種になるが、ばかげていればいいわ…

だらだらと日記(日記)

2022.06.29記 どんな物事も新しい側面を見せる可能性をいつも孕み続ける。私たちの夢想する自分というものの確かさと非-我との決定的分裂が、自己の中身を空虚にし、関係を二次的なものに後退させ、道徳は邪魔ものになった。だが私たちはもちろん、近代的自…

にんじんと読む「フッサール現象学の倫理学的解釈」②

アリストテレス倫理学における徳とは、善い行為の本質的動機付けとなっている確固たつ性格、習性ないし性向である。徳は身に着けさえすれば苦も無く自動的に有徳な行為ができてしまうように思われてしまう(認知的要素も自由意志もない)かもしれないが、こ…

にんじんと読む「フッサール現象学の倫理学的解釈」①

徳倫理学の様々なタイプ 徳という概念が過小評価されてきたのは、「徳」という言葉の今日的用法に求められると考えられている。徳という言葉は、今日的用法においては、人間の長所とりわけ道徳的な善さを指す。しかし本来は、「あらゆる事物がそれぞれの目的…

遊びの考察(日記)

2022.06.27記 遊びはつねに、遊び手にとっての遊びである。遊びを遊びとするものが遊び手のひとつの「態度」であるということには大きな意義がある。一つは、遊び手は遊びのプレイヤーではない場合がありうる。たとえば木の葉がふわふわと揺れているとき明ら…

ぼんやりライフ(日記)

2022.06.26記 この頃、どうもいつもぼんやりしているので困っている。ぼんやりしていると本も読めないし、本を読む気も起こらない。昔はもう少し「正しいこと」について貪欲だった気がするのだが、どうやら真理というものが理念的なものに留まるらしいことを…

まじめな人間(日記)

2022.06.23記 すべての行為に目的はあるだろうか。たとえば仕事に行くのは「私はお金を得るために仕事へ行く」と目的論的に説明することができる。お腹の減っている人がレストランに行くのは食欲を満たすためだろう。あくびをするのはなぜなのか、なぜ猫背が…

生きている、なぜか(日記)

2022.06.18記 おそらくだが「どうして生きているのか?」という問いを、「なぜ生きて行かなければならないのか、その理由はなにか」と解釈すると求めている答えには永久にたどり着けない。なぜならそんな理由はなく、今すぐに死んでも特に大きな影響はないか…

にんじんと読む「結婚と家族のこれから」第三章

第三章 「家事分担」はもう古い? 日々生きていくうえで仕事は大事だとしても、仕事以外にもやらなければならないことはたくさんある。しかもそれはやらなければならないのに、タダ働きなのである。これを無償労働といい、「家の仕事」「家事」とかいう。共…

にんじんと読む「結婚と家族のこれから」第二章

第二章 家族はいまどこにいるか 「労働者」が増えてきて生活拠点が「家」でなくなると、もはや家長の権力は効果のないものになる。戦争でかき消されてしまった庶民の声も、戦後となると民法改正によってオヤジの権利は世帯主という形だけのものとなり、法的…

にんじんと読む「結婚と家族のこれから」第一章

第一章 家族はどこから来たか 説明の出発点は、「食べていくこと」です。人間、食べていくこと、つまり経済的な生活基盤がなければ生きていくことができません。逆にいえば、生活基盤が確保されていれば、あとのことは比較的自由に決められるのです。それは…

にんじんと読む「人はなぜSEXをするのか?」 第四章

第四章 あなたが知らないセックスのこと セックスのはじまり、それは初体験であり、「処女膜」だと思われている。だが処女膜は処女を証明しない。処女膜なしで生まれてくる子もいる。オーストラリアの原住民の一族は生まれて来た子に処女膜がないと拷問して…

解決可能性(日記)

2022.06.11記 問題の解決可能性は明らかに、その問題が実際に解決できるかにかかっている。閉じ込められた牢屋の鍵を開けるのに「看守の持っている鍵を観察し、木工室でレプリカを作り、解錠する」という映画並みのテクニックは脱獄という目的をたしかに提供…

にんじんと読む「人はなぜSEXをするのか?」 第三章

第三章 恋に落ちるメカニズム 相性は遺伝子に刻まれており夢中なときには他の人の性的魅力などどうでもよくなるのだが、おそらくこれは「運命の相手」の存在とは関係ない。というのも、時期によって変わるからだ。女性が好みの男を月経サイクルに従って変え…